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ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)④

  • 2012-07-13 (Fri) 04:40
  • 総合

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 “To the Lighthouse”(邦訳『灯台へ』)に出てくるラムゼー夫人は美しい女性だ。モデルとなったヴァージニアの母親もそうだったのだろう。ラムゼー氏の弟子は、自分が会った中で最も美しい女性であると考えていると述べられている。夫人がこの時、齢50を超え、8人の子供(現実には7人)を生んだ女性であるにもかかわらずだ。
 長編とは言えない小説だが、これも読破するのに少し苦労した。これといった出来事が起きるわけではない。「意識の流れ」の手法で、登場人物の心理状態が淡々と綴られていく物語だ。しかも、そうした「語り手」が次々に変わっていくから、整理するのが「忙しい」。冒頭の灯台行きは結局天候が悪くジェイムズ少年の夢は叶わない。それから第一次大戦をはさみ10年ほどの歳月が流れる。ラムゼー夫人は急死したこと。長男のアンドルーはヨーロッパ戦線で戦死、長女のプルーも結婚後、出産で死亡したことなどが明らかにされる。そして再び、灯台を臨む別荘に生き残った登場人物が集う。
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 登場人物の一人、リリーはラムゼー氏やジェイムズたちが灯台を目指し波に揺られている間、ラムゼー夫人がいなくなり寂しい別荘で夫人のことを回想しながら、10年前に完成することのできなかった絵画のキャンバスに向かっている。彼女の視線の先にはあのころの夫人が佇んでいる。リリーは夫人がもはや口を利くことができない世界に行ってしまったことを嬉しくさえ感じる。人間関係ってそもそも何だろうか。我々は一体誰であり、我々が感じていることを理解することは可能なのだろうか。どれだけ相手と親しくなったとしても、お互いを理解することがそもそもありうることなのだろうか・・・。
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 リリーも今や44歳。キャンバスに向かいながら、物思いにふける。人生の意味って何だろう。知りたかったのはただそれだけの単純な疑問だった。年を経るごとにより身近になった疑問だが、啓示が現れることはなかった。そんなものが人に現れることはこれまでもなかったのだろう。リリーはラムゼー夫人がかつて語った言葉を思い出す。”Life stand still here.”(ここでは時の流れが止まっているのよ)。そう、今ここには空を流れる雲も風に揺れる木の葉も心を不安にさせるものではない。リリーは「奥様(ラムゼー夫人)、奥様」と叫びながら、夫人に感謝の念を捧げる・・・。
 小説の中で英国の料理に関する「自虐的」な記述(注)があって印象に残っている。ヴァージニアは実際に会っていたとしたなら、ユーモアあふれる女性ではと思ったりもした。
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 モンクスハウスには車でも行けるが、私はルイスからウーズ川(River Ouse)に沿った散策路を歩いた。時折ジョギングしている数人の地元の人とすれ違うほかは、風の強い「孤独」な小道がずっと続いた。1時間半ほど歩いて、ようやく到着。ウーズ川はヴァージニアが持病とも言える「精神病」を憂えて、59歳の若さで入水した川である。このところの雨のせいか、決して澄んだ水とは呼べなかったが、水量豊かな川の流れだった。
 (写真は上から、ルイスからモンクスハウスへの散策路の光景。流れる川はウーズ川。気持ちの良い散策が楽しめたが、案内標識が皆無なので、途中から正しい右折路を見つけるのに一苦労。右折すると、牛の群れと出くわした。ここまで来ればもう少し先が目的地)

 注)次の一節だ。イギリス料理の「名誉」のために言えば、今はイングランドで普通に美味しい食べ物に巡り合える(と思う)。私は少なくとも、現在続けている旅で「これはまずい」と思うような料理にはあまり遭遇していない。
 What passes for cookery in England is an abomination (they agreed). It is putting cabbages in water. It is roasting meat till it is like leather. It is cutting off the delicious skins of vegetables. “In which,” said Mr Bankes, “all the virtue of the vegetable is contained.” And the waste, said Mrs Ramsay. A whole French family could live on what an English cook throws away.(イングランドで料理と見なされているのはおぞましきものであるということでラムゼー夫人とバンクス氏は意見が一致した。キャベツは水洗いするだけ。肉はなめし革のようになるまで焼き上げてしまう。野菜のおいしい皮の部分は切り落としてしまう。バンクス氏は嘆く。「切り落とした部分に野菜の栄養素が含まれているというのに」。ラムゼー夫人も応じる。「何というもったいないことでしょう」。だって、フランス人の家だったら、イングランド人のコックが捨ててしまうものだけで暮らしていけることでしょうよ)
 もっとも、こうした文章に出会うと、裕福な上流の家庭では「料理は(雇いの)コックがやるもの」という当時のイングランド社会の「不文律」が垣間見え、私は複雑な気分になる。末尾の言葉がan English cook でなく、an English homemaker とか an English woman あるいは単にan English person だったら、もっと素直に受けとめられたかもしれない。いや、これはヴァージニア・ウルフの文学を理解する上では些末なことではあろうが。

Comments:1

たかす 2012-07-13 (Fri) 16:25

紹介してくれる小説は難しかったという感想があっても不思議はない種類のものが多いようですが、16世紀のフィリップ・シドニー卿、さらにさかのぼって紀元前のローマ人ホラチウスも「考えを広くし、楽しみを与える」(docere et delectare)と言ったとジョージア大学で習ったでしょうに。ワーズワースだけではありません、詩歌(文学)は勉強ばかりのものではありません。藤村も言うではありませんか、「詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや」と。君が手を引いてくれたマーク・トウェインのように楽しい記憶の語らいをしてください。学位をとるための口頭試問(viva voce)から転じて、こんな話はどうと、気楽にいきましょう。

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