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ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)①

  • 2012-07-10 (Tue) 01:35
  • 総合

 イギリス文学を語る上でヴァージニア・ウルフを抜きにしてはいけないのだろう。1882年にロンドンに生まれ、1941年に病苦により自死を選んでいる。彼女は姉の画家ヴァネッサ・ベルとともに、20世紀初めに英国で話題となったボヘミアン的雰囲気の「ブルームズベリー・グループ」の中心的人物だった。
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 「ブルームズベリー・グループ」(Bloomsbury group)。私の電子百科事典には「1907年ごろから30年ごろまで主知的傾向の強いケンブリッジ大学出身者を中心とする作家、芸術家たちのグループで、ロンドンの高級住宅地であるブルームズベリーにあるヴァネッサとヴァージニア姉妹の家に集ったことに由来する呼称」と紹介されている。
 初期のブルームズベリー・グループはヴァネッサの結婚、転居や第一次大戦の勃発などがあり「自然解消」するが、ヴァネッサとヴァージニアがやがてイングランド南部エセックス州に本拠地を移したこともあり、エセックス州の片田舎が後期のブルームズベリー・グループの「拠り所」となる。
 私は今、そのエセックス州の小都市ルイス(Lewes)に来ている。ルイス近郊にブルームズベリー・グループにまつわる幾つかのゆかりの場所がある。
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 まず一つはチャールストン(Charleston)と呼ばれるファームハウス(農家)だ。この家はヴァネッサが恋人の画家、ダンカン・グラントと住んでいた。この家がエセックスでのブルームズベリー・グループの拠点となった。ヴァネッサが転居してきたのは1916年。もともと妹のヴァージニアが近くに転居してきていて、これなら姉は絶対気に入るはずと目をつけた家だった。1916年と言えば、英国は第一次大戦真っ最中。ダンカンは「良心的兵役拒否」(conscientious objection)から農作業従事を余儀なくされ、それに打って付けの農村だった。
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 事実、ヴァネッサはここが気に入り、1961年に死去するまでこの家に住み続けている。現在は独立組織のチャールストン・トラストが管理する歴史的建造物となっている。
もう一つはモンクスハウス(Monks House)と呼ばれる、ヴァージニアが暮らした家。(実際の発音に従えば、「マンクス・ハウス」と記すべきかもしれない)。ヴァージニアもこの家で生涯を過ごしている。この家は全国組織のナショナル・トラストの管理下に置かれている。二つの家は車があれば、たいした距離ではないだろう。ヴァージニアは気が向けば気ままに姉のところに歩いて行ったのではと思われる。私はルイスのB&Bからからチャールストンには路線バスで、モンクスハウスにはウーズ川(River Ouse)に沿った散策路を歩いて訪ねた。
 二つの家を訪ねて、姉妹がこの家を好んだ理由はすぐに理解できた。今なお、都市部の喧騒からは程遠い静寂さに包まれた家だ。この地でそれぞれ、姉のヴァネッサは絵画に、妹のヴァージニアは小説執筆に専念できたのだろう。
 (写真は上から、何だか伸びやかなルイスの街。週末の広場でキリスト教会の人たちがチャリティー活動で歌を披露していた。チャールストンのファームハウスの外観と庭園)

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