- 2012-07-04 (Wed) 23:49
- 総合
ハーディが作品の「下地」としたのは、彼がその生涯の大半を過ごした現実のドーセット州というよりも、アングロサクソンが築いていた「ウェセックス」(Wessex)という名の古代の王国だったようだ。地名も微妙に異なる。“The Return of the Native” ではドーチェスターはキャスターブリッジ(Casterbridge)とされている。
ドーセット郡博物館(Dorset County Museum)を訪れると、ハーディの生涯の一端に触れることができる。彼は石工を生業としていた家の長男として誕生。特段裕福な家庭ではなかったが、お話好きの祖母や教育熱心な母親の愛情を受けて育てられる。教区の学校に通い、文才を芽吹かせていったのだろう。成長後は建築の仕事に就き、ロンドンで修業もしているが、作家で独り立ちすることを目標とする。
ビクトリア時代の保守的な社会の風潮は“The Return of the Native” にも良く表れている。純朴な乙女のトマシンが自分を慕う一途な青年ヴェンに対し、彼の恋心をやんわりとしかしきっぱり拒絶する返信の文面が象徴的だ。
“Another reason is my aunt. She would not, I know, agree to it, even if I wished to have you. She likes you very well, but she will want me to look a little higher than a small dairy-farmer, and marry a professional man.”(もう一つの理由は私の伯母です。もし私があなたのことを愛していて一緒になりたいと願ったとしても、伯母は間違いなく反対することが私には分かります。伯母はあなたのことがとても好きですよ。でも、私の結婚相手には小さな酪農夫ではなく、社会的ランクがもう少し上の知的な職業に就いている人を伯母は望んでいるんです)
これに対し、プライドが高く、エグドン・ヒースでの田舎暮らしが嫌でたまらないユスタシアは自由奔放な少女だ。移り気な青年のワイルディープをもてあそんでいたかと思えば、パリ帰りの好青年クリムに好感を抱く。彼女にとっては、パリ帰りの男は ”a man coming from heaven.”(天から降りて来た人)のように映っていた。19世紀後半の時点でフランスの首都はすでに「花の都」であったようだ。
ところで、サリンジャーの ”The Catcher in the Rye” (邦訳『ライムギ畑でつかまえて』) にユスタシアのことが出てくる。主人公の少年ホールデンは彼女に「好感」を抱いていた。いや、作家サリンジャーがと表現すべきか。モームの『人間の絆』はいい作品だ。だが、モームに電話をかけて話してみたいとは思わない。ハーディ老とは電話で語っていいと思う。ユスタシアも気に入っている・・・などと述べられている(注)。
クリムもユスタシアの美しさに一目惚れする。相思相愛で結婚するものの、二人の間にはやがて溝が広がっていく。ユスタシアはクリムとの結婚でパリでの華やかな生活を手にしたと誤解したからだ。クリムはパリに戻ることは考えておらず、エグドン・ヒースの地元で貧しい村人たちに教育を授けることを目指していることを知り、彼女は落胆する。この落胆が次から次に悲劇を生んでいく。
(写真は、博物館のハーディにまつわる展示品。展示物の中央の女性は作家の最初の妻、その右は2番目の妻。作家が使った書斎も移されていた)
注) ”The Catcher in the Rye” (邦訳『ライムギ畑でつかまえて』) に次のような主人公の少年、ホールデンの述懐がある。
“What really knocks me out is a book that, when you’re all done reading it, you wish the author that wrote it was a terrific friend of yours and you could call him up on the phone whenever you felt like it. That doesn’t happen much, though. I wouldn’t mind this Isak Dinesen up. And Ring Lardner, except that D.B. told me he’s dead. You take that book of Of Human Bondage, by Somerset Maugham, though. I read it last summer. It’s a pretty good book and all, but I wouldn’t want to call Somerset Maugham up. I don’t know. He just isn’t the kind of guy I’d want to call up, that’s all. I’d rather call old Thomas Hardy up. I like that Eustacia Vye.”
- Newer: トマス・ハーディ (Thomas Hardy) ③
- Older: トマス・ハーディ (Thomas Hardy) ①