- 2012-06-27 (Wed) 18:28
- 総合
イザベルとオズモンドの結婚生活は幸せ一杯とはいかなかった。第一、オズモンドは彼女が考えていたような高潔な人格ではなかった。それを物語るのが、一人娘パンジーをめぐる縁談。実は娘の母親が誰であるのか読者には分からないのだが、読み進めるうちに、なんとなく、オズモンドとマダム・マールがかつてはただならぬ関係にあったことが推察されるシーン(注)が出てきて、イザベルは「ひょっとしたらパンジーの母親はマダム・マールでは?」と疑念を抱くようになる。
オズモンドの一人娘パンジーは気立てのよい乙女で、イザベルも心から彼女を愛する。パンジーの魅力に二人の男が求愛する展開となり、そのうちの一人が先にイザベルに求婚したウォーバートン卿。もう一人はそこそこ財産はあるが、ウォーバートン卿とは比較にならない青年のエドワード。オズモンドが「俗物根性」の塊であることを物語るのは、最初は嫉妬から嫌悪したウォーバートン卿を娘の婿として欲することだ。
イザベルは結婚後、ようやくオズモンドのdeception(ペテン)に気づく。彼女はやがてオズモンドとマダム・マールとの関係だけでなく、パンジーが二人の間にできた子供という衝撃の事実を知る。イザベルは死の床にあるラルフの最期を看取るため、イングランドに出向く。自分の人生を陰から支えてくれたラルフに心からの感謝の念を捧げる。「私はあなたにこれまで何もしてあげていない。あなたが生きられるなら、私が死んでも構わない」と。ラルフは最後まで優しい。“You won’t lose me—you’ll keep me. Keep me in your heart; I shall be nearer to you than I’ve ever been. Dear Isabel, life is better; for in life there’s love. Death is good—but there’s no love.”(君は僕を失ったりしない。僕のことを忘れたりしない。心の中で僕のことをずっと覚えておいて欲しい。そうすれば、僕は生きていた時よりずっと君の側にいるはずだ。愛しいイザベル。生きていてこその人生だ。生きていれば愛がある。死ぬことも悪くはない。でも、死んでしまえば、愛はもはやそこにはない)
イザベルはオズモンドが自分のお金目当てで結婚したこと、それにようやく気づいたことをラルフに正直に打ち明ける。ラルフのかつてのそうした「忠告」に耳を傾けなかったことも謝罪する。ラルフは「気にすることはない。今の自分はこうして君と語ることができてとても幸せだ」と優しく諭す。“You wanted to look at life for yourself—but you were not allowed; you were punished for your wish. You were ground in the very mill of the conventional!”(君は人の助けを借りずに人生を行きたかったのだ。でも、そういう生き方は許されなかった。君はそう求めたことで罰せられたのだ。因習的な世の中という臼にはさまれ、君は砕かれてしまった)
イザベルがラルフの死後、どのような生き方を選択したのか、明確には記されていない。少々「消化不良」の感で小説は幕を閉じる。彼女はオズモンドはともかく、心から愛するようになっていたパンジーの元に戻るのだろうか。何となく、戻っていったような気もしないでもない。
(写真は上から、ラムの街角。こんな看板のパブも。可能ならば長逗留したくなるのは当然か。もう一つのパブ。夜9時半過ぎても外はこんな感じの明るさだ。日中も蒸し暑さからは程遠い快適な日々で、作家もこの季節はこの辺りの散策を楽しんだのだろう)
注)Just beyond the threshold of the drawing-room she stopped short, the reason for her doing so being that she had received an impression. The impression had, in strictness, nothing unprecedented; but she felt it as something new, and the soundlessness of her step gave her time to take in the scene before she interrupted it. Madame Merle was there in her bonnet, and Gilbert Osmond was talking to her; for a minute they were unaware she had come in. Isabel had often seen that before, certainly; but what she had not seen, or at least had not noticed, was that their colloquy had for the moment converted itself into a sort of familiar silence, from which she instantly perceived that her entrance would startle them.(客間の戸口に差しかかったところで、イザベルははたと足をとめた。これまでとは何か異なる雰囲気をその時、感じ取ったからだ。厳密に言えば、これまでそういうことがなかったというわけではない。ただ、今回は違った。イザベルは足音もなく客間に近づいていたので、その場の空気を乱す前に彼女は目の前の光景を瞬時に見て取った。マダム・マールは帽子を被り、オズモンドは直前まで彼女に向かってしゃべっていた。イザベルが入って来た時、二人はちょっとの間、虚をつかれた形となった。二人がこういう風に話している場面には以前にも何度も出くわしたことがあった。確かに何度も。しかし、彼女がこれまで見たことがなかったのは、少なくとも気がついたことがなかったのは、二人の会話が途切れた後に続く沈黙に、ごく親しい間柄の者だけが共有できる静けさがそこにはあったのだ。だから、彼女が突然姿を見せた時、二人とも慌てふためいていたことがイザベルにはすぐに分かった)
男女が何も言葉を交わさなくとも、何の不自然さもなく、相対することができる。それは家族でない限り、肉体関係を含めたかなりの親密さがあってのことだろう。卑近な例で恐縮だが、ずっと以前にスナックに複数の知人らと出かけた際、そのうちの一人の女性が同行の男性に見せた何気ない仕草を瞬間目にした時、私は二人が「できている、あるいはかつてできていた」と直感で感じたことがあった。その後、私が感じたことは「事実」であることを私は知った。上記の文章を読んでいて、そのことをふと思い出した。別にどうということでもないが。
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Comments:1
- たかす 2012-06-28 (Thu) 07:44
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60年ほど以前に読んだ本ですので中身を忘れていて、君の要約で、そうだったねと思い出します。ラルフが出てきて、教室で音読が割り当てられたとき、レイフ/reif/ で通したことを思い出しました(笑) ラルフ/raelf/ が普通かもしれません。ヘンリー・ジェームズもかなりおつきあいしました。旧交をあたためようかと思っています。