- 2012-06-22 (Fri) 08:00
- 総合
産業革命を経て「世界の工場」として躍進したビクトリア時代はまた、子供を含めた労働者が劣悪な環境下の工場で過酷な労働を強いられた時代でもあった。ディケンズの生涯(1812-1870)はまさにこの時代と重なる。“Great Expectations” は1860年から翌年にかけ雑誌に連載された。
ロンドン博物館で開催されていたディケンズ展は、ディケンズの死後に明らかになったエピソードが紹介されていた。作家自身が12歳の時、家庭の事情から、靴を磨く工場で働かせられ、この時の経験がトラウマになって残ったことなどだ。作家は社会の底辺にいる貧しい人々に温かい視線をそそぎ、汚職や不正、行政の無策などを糾弾した。「お役所仕事」を意味する “red tape” という表現もディケンズの考案だとか。
ネットで検索していたら、“Great Expectations” の公演があることを知った。ロンドンから少し距離はあるが、サフォーク州のウールピットという村だ。バロック劇団(Baroque Theatre Company)が4月からイングランド各地で行っている公演の最終日だという。
ウールピットに駆けつけ、パブをのぞいたら、劇団の代表者でもあるプロデューサーのクレア・ビビィさんが出演者とくつろいでいて、すんなりと話が聞けた。
「バロック劇団はどういうグループなんですか?」
「私の劇団は英国内の地方を巡回しています。創設3年目です。地方の劇場のルネサンス(再生)を目標としています。今回は総勢12人のキャストで演じています」
「観客の反応はいかがですか」
「世代を超えて好評を博しています。“Great Expectations” はクラス(社会階級)の問題が色濃く出ていますが、これは現代の英国でも同様です。ピップはエステラとの恋を実らせようと青春期、ジェントルマンになるべくもがきます。やがて人生にはもっと大切なことがあることに気づきます。多くの読者がこの物語に共感するのはピップの精神的成長にあるのだと思います。今回の公演に関しては、ディケンズの曾孫(注)に当たる方とコンタクトができ、その人に劇で使う小道具に関して多くの助言をいただき、とても役立ちました」
実際の公演では、少年ピップがロンドンでジェントルマンになったピップの「今」の生活にも顔を出し、「過去」と「現在」が絡み合って展開していく。観客は中高年の人が大半だった。会場を後にする彼らの表情からは、ディケンズの名作を十分に堪能したことが良くうかがえた。
「原作の終幕はどういう風に解釈していますか。私はピップとエステラがようやく一緒になれるハッピーエンドと解釈しましたが」
「私もそう思っています。原作はエステラと再会したピップが心の中で “I saw no shadow of another parting from her.” と思うシーンで終わっています。別れを示唆するシャドー(影)をピップは見ていないわけですから」。ハビシャム夫人を演じる女性が口をはさんだ。「ディケンズは別れを意識した終わりにしたかったのでは。ただ、読者の反応を懸念した出版社の意向もあり、ぼかしたエンディングになったと私は理解しています」
(写真は、話を聞いた「バロック劇団」の人たち。前列右が代表のクレアさん)
注)チャールズ・ディケンズの曾孫に当たる人物はジェラルド・ディケンズ氏。英語だと “a great great grandson” となる。ディケンズ氏は役者やプロデューサーとして活動した後、1993年からは、高祖父の作品を舞台で「一人で演じる公演」(one-man show)に着手。2007年からは英国各地の芸術祭や世界各地を周遊する大型巡航客船などで公演しているという。
バロック劇団の今回の公演では、ミセスジョーの杖の材質とか、弁護士ジャガーズの名刺の大きさ、ミセスジョーの葬式の細部とか、チャールズ・ディケンズに身内として精通する者だけが分かる事柄を助言してもらったという。
なお、ジェラルド氏とは日本への帰国直前に彼の舞台を観た後、控室で少しだけ歓談した。彼はその日は『ニコラス・ニクルビー』を熱演していた。私が『大いなる遺産』が一番好きな作品ですと言うと、ジェラルド氏も「私もそうです」と答えた。日本で公演したことはまだなく、いつか日本で演じてみたいとも語っていた。
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