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ジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer) ③

  • 2012-06-15 (Fri) 06:57
  • 総合

 カンタベリーには大きくはないが、この地の特異な歴史を紹介した博物館がいくつかある。そうした博物館を見学して以下のことを学んだ。カンタベリーの信仰の地としての歴史は西暦597年にローマ法王がサクソン人にカトリック教を信仰させるために、修道士アウグスティンを派遣したことに由来する。アウグスティンは初代大司教となる。
 カンタベリーはそれ以来、カトリック信仰の聖地となるが、巡礼の地として一躍脚光を浴びるのは、1170年にカンタベリー大聖堂のトマス・ベケット大司教が国王ヘンリー2世の臣下に殺害された以降のことだという。ローマ法王は死後すぐに彼を聖人に列する。聖トマスは質実さで知られた人物でもあり非業の死を遂げたことから、彼が手厚く葬られた大聖堂は国内外から多くの人々が巡礼する地となった。
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 巡礼はまた、多くの市井の人にとって一生一度の楽しみだったのだろう。博物館の資料でも “Most came to St Thomas to be cured of afflictions; some to offer thanks, some out of piety, some sent as penance. Others, no doubt, in holiday mood came to see a new town with its fairs and attractions and hospitality.”(多くは聖トマスに病いを癒してもらうために来た。感謝の念を捧げるために、あるいは敬虔な心から、また罪滅ぼしの気持ちから来る者もいた。またある者は縁日があり、催しがあり、滞在が心地よい新しい町を見るためにやってきたことも間違いないだろう)と紹介されていた。
 “The Canterbury Tales” はチョーサーの死後600年以上経過した今読んでも考えさせられるエピソードが多い。法廷弁護士(sergeant at law)が語るお話はローマの美しく気高いプリンセス、コンスタンスの波乱に富んだ物語だ。彼女に恋をしたシリアのスルタン(君主)は彼女と結婚するため、キリスト教に改宗することを選択する。だが、スルタンの母親は息子の改宗に激怒し、婚姻の宴の後、息子のスルタンを含め、改宗した臣下を全員惨殺。コンスタンスは船に乗せられ、荒海に追放される。コンスタンスは最終的には流れ着いた地で良き伴侶を得て、最後はローマで父親と一緒に幸せな日々を送るが、宗教の違いが今なお、欧米とイスラム世界の現在に至る確執を生んでいること、さらにはシリアやリビアなどイスラム圏の今の泥沼を考えると複雑な心境にならざるを得ない。
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 “The Canterbury Tales” は風刺や機智に富んだ文章も多い。私のような者には次のような洞察は勇気づけられる。騎士のお話に出てくる文章だ。
 The old, in fact, have a great advantage:/Wisdom, experience, belong to age./You can outdo the old, but not outwit.(年老いた者は実際大きな利点に恵まれている。知恵、経験は年齢を重ねて身につくものだ。若い者は老人を体力的に圧倒することはできるが、知力でまさることはできない)。スマートフォンなど触ったこともないアナログ人間の私だが、そうなりたいものだと願う。
 (写真は上が、今回の旅に持参した本“The Canterbury Tales”。下は、カンタベリーの通り。フランスから教師に引率されて団体でやって来る中高生が異様に多く、フランス語を話していなければ、私には地元の子供たちと区別などできない)

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