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サマセット・モーム(Somerset Maugham)②

  • 2012-10-12 (Fri) 20:10
  • 総合

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 モームは1874年、父親が英国大使館の顧問弁護士をしていたパリで生まれている。上に3人の兄がいたが、両親が相次いで病死したため、10歳の時にイングランド南東部ケント州のウィッツタブル(Whitstabe)という町で牧師をしていた叔父の家に一人引き取られる。叔父は陰気で面白みに欠ける人物だったようだ。叔父夫婦には子供がなく、兄たちともほぼ没交渉だったため、モームは実質一人っ子のように育った。
 ウィッツタブルはカンタベリーからバスで35分程度の距離にある。“Of Human Bondage” ではBlackstable となっている。「white」が「black」に。晩年まで思慕の情を抱き続けた母親を亡くし、見知らぬ土地で陰鬱な少年期を送ったことがうかがえる。
 そのウィッツタブルは拍子抜けするほど、モームの「足跡」は残っていなかった。少年モームが1880年代に歩いたと思われるオックスフォードストリートからハイストリート沿いには当時の建物が残ってはいたが。地元の図書館にもウィッツタブル記念館にもモーム関連の展示室やコーナーはなかった。こちらがモームの足跡を探していると知ると、パソコンや電話でいろいろ、調べてくれたが、モームのことを地元の作家が書いた小冊子を見つけた程度の収穫しかなかった。記念館のレジにいた係の婦人に「モーム関連の展示コーナーを設けたら観光客に喜ばれるかも」と話したら、真剣に耳を傾けていた。
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 少年モームが時に旅心をかきたてた北海を臨むウィッツタブルの浜辺。私がたたずんだ時は6月中旬の爽やかな時だったが、冬には寂寥感漂う浜辺になるのだろう。牡蠣の貝殻が無数にある。そう言えば、oyster と看板に書き立てたレストランを通り過ぎたような。尋ねてみると、ウィッツタブルは牡蠣や海の幸で名高い町だという。その中でもWheelersというレストランが特に有名だと聞き、のぞいてみた。ハイストリート沿いにあり、表がピンク色に塗ってあり、ドアを開けると、魚が置かれたショーケースがあり、奥にダイニングテーブルがあるレストランになっていた。家庭的な雰囲気の小さいレストランだ。
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 メニューから、12個の牡蠣(9.5ポンド)と8£のクラブケーキ(Crab Cake)を注文した。牡蠣がとても美味かった。お店の人の話によると、今の牡蠣は養殖牡蠣で、天然ものが揚がる秋口にはもっと美味しい牡蠣が食べられるとか。この店は1856年の創業というから、少年モームもこの店をのぞきこんだことぐらいはあるかもしれないと思った次第だ。ロンドンから日本人ビジネスマンがこの店に良くやって来るとも聞いた。
 「いや、これは美味い」と舌鼓を打っていたら、お店の人はが「不思議よね。昔は貧しい人たちの食べ物で、金持ちの人は見向きもしなかったなんて」と言う。そう、物の本によると、牡蠣はディケンズが活躍した19世紀には貧者の食べ物だった。女漁師たちが通りの角などでかご一杯に詰めた牡蠣を通行人に売っていたとか。貧者にとっては普段の食べ物であり、富める者にとってはフルコースに取りかかる前に、口の中を清めるために食されたと書いてある本にも出合った。モームの話ではなく、牡蠣の話になってしまった。
 (写真は上から、牡蠣殻が目立つウィッツタブルの浜辺。牡蠣で知られるレストラン。そこで食した牡蠣。評判の店だけのことはある味だった)

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