- 2012-09-22 (Sat) 07:35
- 総合
アイルランドにジョイスにまつわる記念館がダブリンの近くにあることを知った。あまり気乗りはしなかったが、あてにしていた、ジョイスを専門にしている大学の教授が休暇に入り会えなかったこともあり、その記念館に足を運んだ。
ダブリンから列車で南に向かい約30分。サンディコーブ(Sandycove)という町に目指すジェイムズ・ジョイス・タワーがあった。下車した駅からそのタワーへ向かう海沿いの歩道が好天もあり、気持ちのいい散策路だった。
タワーの近くの浜辺では泳いでいる人の姿も見える。こちらに来て泳ぐ人の姿を見かけるのは初めて。もう海水は泳ぐには冷た過ぎるのでは? 歩いている地元の人に尋ねると、「そう。もう泳ぐには適していない。でも、好きな人は年中泳いでいる」との由。
タワーはアイルランドが大英帝国の支配下にあった19世紀にフランスのナポレオン皇帝との戦争に備えて建造された円形砲塔の砦跡だ。兵器の近代化に伴い、歴史的遺物となり、ジョイスは彼の友人がこの砦に住んでいたこともあり、1904年9月9日からここで6泊している。もっとも悪夢を見た友人が夜中に銃を自分に向かって発砲したため、あきれ果てたジョイスは慌ただしく砦から立ち去るのだが、この訪問が縁となって1962年以降、彼のゆかりの品々を集めた記念館が開設されているのだという。
1922年に発表された代表作 “Ulysses” の書き出しはこのタワーから始まっている。1941年1月13日に死亡した直後に採取された作家のデスマスクがある一室では、ジョイスが好きだったギター、ベスト、ネクタイなども展示されていた。案内役の地元在住のボランティアの女性は「ジョイスはおしゃれ(dapper)な人だったと聞いています。ギターの下にネクタイがあるでしょう。あれは(数少ない友人の)サミュエル・ベケット(アイルランド出身の劇作家)のプレゼントです。私はベケットの遠縁に当たります」と誇らしそうに語った。
狭い螺旋階段を上り、タワーの屋上に出る。いい見晴らしだ。ジョイスもこの屋上から景観を楽しんだのだろうか。彼はタワー訪問の1か月後にアイルランドを去り、ヨーロッパに旅立つ。ジョイスの作品は総じてアイルランドが舞台だ。それだけ故国への思いが深いと推察されるのだが、彼は後年アイルランドで暮らすことはなかった。アイルランド出身の作家の記念館ではジョイスについて、「言語や宗教、国籍といった事柄はジョイスにとって自分の魂の自由を奪うものとして映っていた」(Language, religion and nationality were seen by Joyce as nets cast at his soul.)と紹介していた。
タワーを出て、サンディコーブの駅に近いワインカフェで休憩。ここには不思議とダブリンの重苦しい雰囲気はない。海辺に近いからだろうか。タワーでボランティアをしていた案内役の女性の言葉を思い出す。「国内の景気が悪くて大変なんですよ。将来どうなるのか、怯えている(frightened)人が多いのです」。私のダブリン再訪の喜びが湿りがちだったのはそういう事情もある。
(写真は上から、ジョイス・タワーへの歩道。ほぼ中央に円形砲塔のタワーが見える。展示品。デスマスクも。ジョイスが使った寝室。タワー屋上からの眺め。帰途に駅の近くのカフェでブランチ。気分がいいとワインを傾けたくなる)
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Comments:2
- たかす 2012-09-23 (Sun) 20:47
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そのワインはオーストラリア産、ニュージーランド産?スペインかな、フランス?第二次世界大戦終了後、しばらくはイギリスがウィスキーを輸出に向けて「地産地消」を控えました。アイルランドが産するアルコールはギネスばかりではなかろうと思いますが、イングランド以上にパブは繁盛ですか?君の報告ではパブが相変わらず男たちに欠かせないものだと読めますけれど。
- nasu 2012-09-25 (Tue) 04:23
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ワインのことは分かりませんが、イングランドもアイルランドもパブは庶民の貴重な社交の場、いや、手軽な飲み屋として繁盛しています。どこかで書きましたが、自宅で家族や友人たちと好きなテレビを見ながら飲む方が安上がりなので、パブはどこでも苦戦していて、パブの数は漸減しているようではありますが。アイルランドのパブはアメリカからの「ホームカミング」の観光客を昔も今も大歓待でした。