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ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)①

  • 2012-09-19 (Wed) 06:24
  • 総合

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 ダブリンを初めて訪ねた1990年代半ば。ダブリン市内の目抜き通りを貫通するリフィー川の上から河岸を眺め、ああ、ジョイスの “Dubliners” (邦訳『ダブリン市民』)の世界に遂に来たんだという感慨に浸った。今回の再訪ではもうそうした感慨は起きなかった。
 学生時代にジェイムズ・ジョイスの “Dubliners” を講義で読んだ記憶がおぼろげにある。おぼろげだ。今回の旅でこれを取り上げようと思い、ロンドンに到着後、古書店で改めて “Dubliners” を買い求め、ゆっくり頁を繰っていったが、初めて読むのと「大差」ないほどそれぞれの物語の筋を忘れていた。
 ジョイスは1882年ダブリンの生まれ。1914年に刊行されたこの作品はジョイスにとって最初の本格的小説だ。作家が育ったダブリンを舞台に、取り立ててどうということもない多様な「市民」の暮らしぶりや思いが淡々とした筆致で描かれている。何となく気の滅入るようなお話が続く。
 例えば、“Eveline” というとても短い章。母親に死なれ、一家を切り盛りする19歳の少女、エブリンが登場する。切り詰めた生活を余儀なくされているエブリンだが、最近ボーイフレンドが出来た。フランクという名の船乗りをしている好青年。彼はアルゼンチンのブエノスアイレスに落ち着く計画であり、彼女にそこで一緒に暮らそうと誘う。彼のことが好きになったエブリンは誘いに応じる。だが、船が出港する直前に彼女はダブリンを後にすることを頑なに拒否し立ち尽くす。あれほど、新しい生活に憧れていたのに。
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 この章は次のような文章で終わっている。She set her white face to him, passive, like a helpless animal. Her eyes gave him no sign of love or farewell or recognition.(エブリンは彼の顔をじっと見つめた。追い詰められた動物が浮かべる、活力など失せてしまった表情で。彼女の表情のどこを探しても、彼のことを認識しているとは思えず、彼に対する愛情とか別離の悲しさとかいったものもうかがうことはできなかった)
 読者は彼女の土壇場での心変わりの理由を推察するしかない。エブリンは父親と年の近い兄弟のハリーの他に、まだ手のかかる二人の弟(妹)がいて、日々、この二人に食べさせ、学校に送り出すのはひとえに彼女の仕事だった。次のように述べられている。
 Strange that it should come that very night to remind her of the promise to her mother, her promise to keep the home together as long as she could.(エブリンには不思議としか思えなかったのであるが、ダブリンを後にしようとしたまさにその夜に、母親と交わした約束が彼女の脳裏をかすめたのだ。自分が生きている限り、残された家族の面倒をきちんと見るという約束だ)
 自分の幸せの前に家族、それも弟や妹の幸せを優先しなくてはならない長女の責務。これは古今東西同様か。親元を離れた高校時代に姉に世話をしてもらって、そのことなど露顧みることなく、のほほんと生きてきた私はこうした文章に出合うと手がとまる。
 (写真は上が、ダブリン中心部にあるジョイスの像。観光客が像の前で記念撮影する光景を何度も見かけた。1990年の建立とか。下はリフィー川。博多・中洲を流れている川を少し思い出した。中洲のような河岸の屋台村はないものの)

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