- 2012-08-07 (Tue) 06:34
- 総合
19世紀ビクトリア時代の英国文学史上に輝くブロンテ姉妹。長女のシャーロット(Charlotte)、二女のエミリー(Emily)、三女のアン(Anne)。生年ではそれぞれ1817年、1818年、1820年とあるから、年の近い3姉妹だったことが分かる。惜しまれるのはエミリーが30歳、アンが29歳の若さで病没していること。シャーロットが一番長生きしたが、それでも38歳で亡くなっている。
エミリー・ブロンテの “Wuthering Heights”(邦訳『嵐が丘』)を取り上げたい。彼女がただ一冊だけこの世に残した小説だ。どこかで「一冊の作品を書くために生まれた作家がいるものだ」ということを誰かが述べていた文章に出くわしたことがある。”Gone with the Wind”(邦訳『風と共に去りぬ』)を書いたマーガレット・ミッチェルのことだったか。エミリーはその「究極的存在」だろう。
物語は1801年。人里離れたウザリングハイツ(注)と呼ばれる屋敷に住むヒースクリフという人物が所有する家を借りて住むことになったロックウッドは女中のネリーからウザリングハイツにまつわる数奇な物語を聞かされる。
基調になっているのはヒースクリフとキャサリンの激しくも悲しい恋だ。ヒースクリフはもともとウザリングハイツの主人だったアーンショーが拾ってきた孤児だった。ヒースクリフはアーンショー家の美しい娘キャサリンに恋するようになる。アーンショーの死後、一家を仕切るのはキャサリンの兄のヒンドリー。彼は父とは異なりヒースクリフを虐待する。キャサリンは結婚相手として、ヒースクリフではなく、彼よりはるか上のクラス(社会階級)に属する隣人のリントン家のエドガーを選択する。失望したヒースクリフはキャサリンとの恋を諦め、ウザリングハイツを後にする。
そして、3年後にウザリングハイツに戻ってきたヒースクリフの「復讐」が始まる。彼はかつての孤児ではなく、裕福な男に成長していた。自分を虐待したヒンドリーには酒とギャンブルを勧めて破滅に追い込み、ウザリングハイツの屋敷を手に入れる。ヒンドリーが死亡した後は彼の一人息子ヘアトンを自分がかつて受けたように虐待する。エドガーの妻となっているキャサリンには再び愛をささやく一方、エドガーの妹、イザベラと駆け落ちする。しかし、ヒースクリフにイザベラへの愛はかけらもなく、イザベラは結局ロンドンに逃げ、息子リントンを生んだ後に死亡する。キャサリンも娘のキャシーを生んで亡くなる。その後、ヒースクリフは病弱で余命のない自分の息子リントンとキャシーを理屈をつけて結婚させ、リントン家の財産も手に入れる。
ロックウッドは上記の経緯をネリーから聞かされる。この時点ではヒースクリフの「復讐」は一応成就したかのように見える。ロックウッドはその後ロンドンに戻り、翌1802年にまだ借家の契約が残っていたこともあり、ウザリングハイツを再訪する。そして再会したネリーから、ヒースクリフが3か月前に死亡したことを聞かされる。その「死に際」がなんとも怪奇で、引き込まれるように読んだ。
(写真は、ハワース到着後、再び購入した “Wuthering Heights”。表紙がいい)
注) ウザリングハイツ(Wuthering Heights) wuthering という表現はヨークシャー地方の方言で、天候が悪化して「風が吹きすさぶ」ような状態を意味する形容詞だという。heights は普通に「丘」や「高地」を表す言葉。原作のタイトルも我々日本人には「何と発音するのだろう」と「記憶」に残るが、これを『嵐が丘』と最初に翻訳した訳者の腕も素晴らしいと思う。なお、日本語表記で「ワザリングハイツ」と書く向きもあるようだが、現地では皆「ウザリングハイツ」と発音していた。
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