- 2012-05-22 (Tue) 05:08
- 総合
ロンドンに着いて最初に足を運んだ観光名所はシャーロック・ホームズ博物館だ。有名人の蝋人形館で知られるマダム・タッソーにも近い。ホームズものに登場するベイカー・ストリート221b番地にある民家をそのまま活用した博物館は1990年にオープンしている。入場料大人6ポンド(約840円)。二階の書斎にいた世話係りの女性は「今日はお客が少ない方です。多い時には通りに行列ができ、1時間待ちということもありますよ」と語った。
実を言うと、私はシャーロック・ホームズものを最近まで読んだことがなかった。英文学の旅なら、ホームズものは「必須」かなと思い、何気なく、手にしたのが、“The Adventures of Sherlock Holmes” 『シャーロック・ホームズの冒険』だった。いや、正確に書くと、私がアフリカの旅以来重宝している電子辞書に「世界文学100作品」という「棚」があり、この中にドイル卿の名著が収納されていた。
一番手に掲載されていたのが “A Study in Scarlet” 。『緋色の研究』という邦訳が定着しているようだ。『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズの先駆けになった作品で、探偵ホームズとワトソン博士が知り合った経緯が冒頭に紹介されている。
この作品が書かれたのは1886年で翌87年に発表されている。ロンドンの街中をハンサム(hansom)と呼ばれる「2人乗り1頭立て2綸馬車」が石畳をきしらせながら走っていた時代であることが分かる。もっとも、19世紀末のこの時代に、ロンドンではすでに地下鉄(Underground) が走っていたことも記されている。世界で初めてここロンドンで地下鉄が通ったのは1863年とか。日本はまだ明治維新前だ。当時はロンドンが世界に冠たる大都市であったことは容易に想像できる。
私のように50歳代後半になって初めてホームズものを読むと、小説のプロットの他の部分に結構「目」がいってしまう。例えば、登場人物がお互いをどう呼び合っていたかということが気になった。私の記憶ではお互いをファミリーネーム(名字)で呼び合っており、ファーストネームで語りかける場面は見られなかったように思う。それも、敬称なしのファミリーネームだ。ホームズはワトソン博士のことを第三者がいる時には “Dr. Watson” と呼んでいたが、二人だけの会話の時には単に “Watson” と呼んでいた。ワトソンも “Holmes” と応じている。当時は今と異なり、あまりお互いをファーストネームで呼び合う習慣はなかったのだろうか。
小説はIn the year 1878 I took my degree of Doctor of Medicine of the University of London,…という書き出しで始まる。語り手はワトソン博士だ。ワトソンは大学卒業後、軍医としての訓練を経て、副軍医としてインド駐屯の軍に勤務を命じられるが、彼がボンベイ(現ムンバイ)に到着した時、第二アフガニスタン戦争が勃発、自分の軍は敵陣深く入っており、急いでカンダハルに向かったことが述べられている。1878年のことであるが、現在米軍やNATO(北大西洋条約機構)軍が撤退を模索している、戦火のやまないアフガニスタンの情勢が一瞬脳裏に浮かび、奇妙な印象を禁じえなかった。
(写真は上から、シャーロック・ホームズ博物館の外観。実際にドイル卿が下宿していた民家でないが、ドイル卿や探偵ホームズの作品のゆかりの品々が数多く展示されていた)
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