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D.H.ローレンス(D.H. Lawrence)③

  • 2012-08-02 (Thu) 06:13
  • 総合

 それにしても、ポールの母親に対する愛情は尋常ではない。私も「母親っ子」であったが、それは世間一般の母親に対する思慕の念だ。今となっては、もっと生前の母に親孝行をしたかったという後悔の念でもある。だが、ポールは異なる。齢を重ね(といってもまだ53歳の若さだが)体力の衰えの目立ち始めた母親に対し、不満をぶちまける。“Why can’t a man have a young mother? What is she old for?”(なぜ母さんは若いままでいられないの?どうしてそうやって老いていくの?)と。ポールはさらに言う。“You’re not going to leave me. What are you—fifty three! I’ll give you till seventy five. There you are, I’m fat and forty four. Then I’ll marry a staid body. See—!” (「僕は母さんから離れることはないよ。だって母さんは今、何歳?まだ53歳じゃないか。どう見たって75歳まで生きるのは間違いない。その時、僕は今より太っているだろうけど、44歳だ。その時点でしっかりした女性と結婚でもするよ。大丈夫!」)
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 こういう息子と母親の尋常ならざる愛情関係をフロイトの精神分析用語で「エディプス・コンプレックス」(Oedipus complex)と呼ぶのだという。私の電子辞書では「男の幼児が無意識のうちに母親に愛着を持ち、同性の父親に敵意を抱くことで発生する複雑な感情」とある。
 モレル夫人とポールがこれからの人生をどう生きるかについて語り合うシーンが興味深い。ポールは自分は富裕なミドルクラス(中流階級)には属したくない、自分は庶民(common people)が一番好きであり、自分は庶民に属すると語る。庶民からこそ生命そのもの、温もりを得るのだとも。母親は鋭く指摘する。それなら、お前はなぜ、父親の仲間である炭鉱夫の人たちとの触れ合いを求めないのだと。いろいろ御託を並べているが、お前こそクラス(階級)とか出自にこだわる俗物根性むき出しの人間ではないかと。
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 モレル夫人ががんに侵されていることが判明する物語後半はいやはや凄まじい。二人ともに死が確実に近づいていることを承知している。時には二人とも明るく無邪気に振る舞うが、別れの日がひたひたと忍び寄っていることを。ポールは「抜け殻」のような日々を送る。これほど痛切に母親を愛せるものなのか。彼はやがて、廃人のようになっても生きながらえる母の姿を見守るのが耐えられなくなる。彼は医者に向かって不謹慎にも言い放つ。”Can’t you give her something to put an end to it?” (母に何か投与して命を終わらせることはできないのですか)。ポールは最後には母親が飲んでいたモルヒネを大量に砕いてミルクに混ぜ、飲ませる愚挙に出る。母親は苦い、苦いと言いながら、このミルクを飲み干す。モレル夫人は翌日息絶える。今なら、いや当時でも、これは明らかに「犯罪」だろう。
 興味深かったのは、小説の後半、ポールが恋人のクララの住む家で一夜を明かすシーンだ。彼女は母親と一緒に暮らしており、彼はその夜、普段はクララが寝るベッドを与えられる。ポールは彼女のことが気になりベッドの上で悶々とする(注)。
 (写真は上が、イーストウッドにあるローレンス文化遺産センター。元は炭鉱会社の建物だった。作家の生涯や地元の人々が従事していた当時の炭鉱労働の実情などを紹介している。下が、センターに展示されている作家が描いた風景画。ローレンスは小説や詩作の他に絵画にも秀でていた)

 注)そのシーンは次のように述べられている。
 Then he realised that there was a pair of her stockings on a chair. He got up stealthily, and put them on himself. Then he sat still, and he knew he would have to have her. After that he sat erect on the bed…
 私は最後の文章を目にした時、ポールが寝付けないので、ベッドの上に背筋をピンと伸ばして座ったのだろうかと想像はした。ただ、erect に「勃起した」という意味があることから、「性的な意味合い」も含まれているのかなとも思った。序文を書いていた専門家の解説によると、この文章でのerect はいわゆるdouble entendre(意味が2通りにとれるあいまいな語句)であり、私が感じた印象は間違っていないようだ。初版発行時の編集者は上記の文章をすべて削除した。だが、この専門家によると、編集者が気にしたのは、erectという表現よりも、ポールがクララの脱ぎ捨てたストッキングを自ら身につけるという行為がtoo kinky(あまりに変態的)に思えたからだという。白状すると、私はポールの衝動が分からないでもない。実際にそうしたことは断じてないが。

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