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D.H.ローレンス(D.H. Lawrence)②

  • 2012-08-01 (Wed) 06:24
  • 総合

 ロンドンに巣立ったウィリアムは「中身」が空っぽの美女、リリィに恋をして振り回された挙句に、過労に肺炎をこじらせ死亡する。愛する長男の身を案じるモレル夫人は “Nothing is as bad as a marriage that’s a hopeless failure.” (どうしようもないほど失敗に終わった結婚ほど悲惨なものはない)と嘆く。
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 悲嘆に打ちのめされたモレル夫人は廃人のようになってしまうが、二男のポールまでもが過労がたたり命にかかわる重病に陥ったことで夫人はようやく「正気」を取り戻す。
 回復したポールは近所に住む一つ年下の美少女、ミリアムと「恋仲」になる。「恋仲」といっても、非常にプラトニックな恋愛だった。ポールは21歳、ミリアムは20歳か。モレル夫人はなぜかしら、ウィリアム亡き後、ただ一人の心の拠り所であるポールをミリアムに奪われるのではないかと危惧し、彼がミリアムと付き合うことに嫌悪感を隠せない。”She’s not like an ordinary woman, who can leave me my share in him….He will never be a man on his own feet—she will suck him up.”(「彼女は普通の女ではないわ。私から息子のすべてを奪い取るような女よ。・・・息子は二度とまともな男に立ち戻ることなどできなくなってしまう。彼女は息子を吸い尽くしてしまうわ」)
 モレル一家が暮らした、いや、ローレンス一家が暮らしたイーストウッドを訪ねた。ノッティンガムから路線バスで30分程度の距離。作家の生家が博物館として残っている。
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 入場料(ガイド料)は5ポンド。開館したばかりの午前11時に訪ねたため、来訪者は私一人だった。ガイドはキャロラインさん。こういう施設では得てして写真撮影は禁止されているが、「どうぞご自由に」との由。ローレンスの生涯を端的にまとめた10分程度のビデオが分かりやすかった。ビデオを観た後、彼女の案内で生家の内部を案内してもらう。二階にある母親のベッドルーム。「ローレンスはほぼ間違いなくこの部屋で産声をあげました。ベッドそのものは当時使われていた年代物ですが、食事や読書に使ったベッドの上のサイドテーブルは母親が実際に愛用していました。ローレンスの長兄が母親のために製作したものです」とキャロラインさんが説明する。
 ローレンス一家が隣近所と共同使用した「ウォッシュルーム」(洗濯所)や共同トイレなども案内してもらった。炭鉱で働く労働者家庭の厳しくつましい暮らしがうかがえる。「ローレンスの母親は子供たちには自分たちより少しでも良い暮らしができることを望んでいました。その一方ここでの暮らしを豊かにするため心を砕いたことは、残っているペイントや壁紙などからもよくうかがえます。彼女は1910年に病で他界します。ローレンスは出版前の処女作を母親の手元に届けますが、体力、気力の萎えた彼女はページをめくることはできませんでした」
 通りをはさんでローレンスの処女作を店名にしたカフェがあった。ノッティンガムへの帰途に就く前、そこで軽く食事をして、勘定を済ませていると、中年の夫婦客が横からなんだかんだと人懐っこく話しかけてきた。イングランドは北上するほど人々の気さくさが増すようだ。
 (写真は上が、イーストウッドのローレンスの生家前。左の建物の一部が博物館となっている。下が、ローレンスの母親が使っていたベッドルーム。サイドテーブルを示すキャロラインさん)

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