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有栖川有栖さんの新作『論理爆弾』(東京創元社)という名の爆弾

  推理小説は「ズルい」ものです。名作推理小説に感動した読者は、一方でその作品に心憎いまでの「ズルさ」を感じとっているはずです。ですから推理小説は「ズルさ」を許容するものなのです。ですが、どんなズルさも許されるのかというと決してそうではなく、そこには暗黙の約束事のようなものもあります。その約束事がしっかりと守られている作品を読者は「フェア」だと実感するのです。できるだけ厳密にルールのようなものを遵守しながら、限りなくズルくて巧みな嘘を創出する。優れた推理小説作家は、皆この矛盾した営みに挑戦しているはずなのです。スポーツの世界においてフェアプレイが謳われながら、勝負のためのフェイントプレイが認可されていることと事情は似ているのかもしれません。
  そもそも、どこまでの「ズルさ」が認められるのかという明確な境界線があるわけではありません。どこまでのルールが守られればフェアプレイになるのかという点も同じです。したがって均衡を壊した破格な作品も世の中には登場しうるわけです。しかし、少なくとも有栖川さんの選んだ道は、自身のバランス感覚を頼みの綱として「ズルさ」と「フェアさ」との均衡を保ち続けることだったと考えられます。俗に「創造することは破壊することよりも難しい」といわれますが、さらに難しいのは維持することなのかもしれません。『論理爆弾』において、今回も有栖川さんはその困難な試みに挑戦しています。成功のほどは読者各人が感じとってみてください。
  この「ソラ」シリーズにおいて有栖川さんは非現実的で異様な世界を作品の舞台に据えました。この世界に象徴的な意味を読みとる必要はありません。世界の意味を解釈するのは純文学の仕事だからです。また、どんな世界で起ころうと(異次元世界であろうと日常生活圏であろうと)事件は事件なのです。事件が解決されることに推理小説の第一義があって、それ以外のものは不要だとさえいっていいのです。しかし有栖川さんの「ソラ」シリーズにおいては、作品の舞台となっている世界の謎、あるいはその世界が存在することの必然性、といったようなものを解明するという二重性が仕掛けられています。その仕掛けも推理小説の「ズルさ」を守るためのものだったという解釈が、この『論理爆弾』には当てはまると考えます。
  なお、ここでいう「ズルさ」は作者の人間性と一切無関係であることはいうまでもありません。
 

  

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