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東野圭吾さん『真夏の方程式』について

(東野圭吾さん『真夏の方程式』(文藝春秋)、『容疑者Xの献身』(文春文庫)の真相部分に言及しますのでご注意ください。)
 事件の構造そのものは『容疑者X』と似ています。「容疑者X」が母娘をかばった動機が謎めいているのと同様に、重治が殺人におよんだ動機も不鮮明なところがあります。
 また「容疑者X」が自分のしでかしたことが結果的にどのようなことをもたらすのかを読み切れていないのと同じく、重治も殺人に沢村や恭平を巻き込んでしまうことがどのような結果をもたらすことになるのか予想だにできていません。
 自分が犯した罪を隠し続けようとする成美の人間性も曖昧です。彼女は自分の過去が今回の事件と関連していると推測することすらできなかったのでしょうか。恭平に罪を犯させることになった原因は自分にあるとは考えられなかったのでしょうか。
 そもそも今回の事件が起こったのは退職刑事・塚原が来てしまったがゆえなのですが、ガリレオは彼の行為について以下のように述べています。「塚原さんのやろうとしたことは、人として間違ったことじゃない。だけど危険を伴う行為だった。まるで海の底にある扉を開くようなものだ。そこから何が出てくるのか、それによって何が起きるのか、全く予想できない。」つまり、塚原という人物も自身の行為の波及効果を考慮できなかったということです。
 「ある人物の人生がねじ曲げられるのを防ぐ」とガリレオはいっています。この人物が誰を指すのかがこのミステリーの基盤になっているのですが、一方どうすれば人の人生をねじ曲げずにすむのかは全く未知の問題なのです。結果的にガリレオは真犯人の罪を隠蔽することになるわけですが、そもそも今回の事件が起こったのは過去にある隠蔽工作が行われたがためなのです。ガリレオが犯人をかばったということが、将来どんな波及効果をもたらすのかは未知数なままです。誰もが「容疑者X」のような暴挙にでてしまう可能性をもち、誰しも人は自分の行いの波及効果を読み切ることができないという観点から読めば、『真夏の方程式』はリアリティをもった作品だと評価することができます。

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