- 2012-06-26 (Tue) 01:21
- ミステリーな毎日
『ガリレオの苦悩』(文春文庫)の中で恩師が湯川准教授(ガリレオ)を評するところがあります。ガリレオが研究者として優れているところは、彼の「純粋さ」にあると。この「純粋さ」は「無欲さ」といいかえてもいいかもしれません。彼が研究するのは好奇心(知的欲求)を満たしたいためだけであって、名誉も財産も彼は必要としないのです。「磁界歯車」を研究したときのように、その研究の方向性が間違っていると感じたとたん、築きあげてきた成果も自信もあっさり捨ててしまえるようなところにも、彼の人間性が如実にあらわされています。『聖女の救済』で、自分の仮説を相対化しながら推理し、確信のもてる可能性を見出すことができたのも、この人間性によります。
ただ、この人間性にも問題があります。「無欲」なガリレオには他人の「欲望」が理解できないということです。今回はガリレオを恨む犯人が登場しますが、なぜ恨まれることになったのか彼には理解できていなかったようです。科学的なことに関する純粋な指摘が、ときにより人を傷つけることがあるなどというようなことを、彼は想像だにできなかったわけです。周囲の人々は「彼の人間性はともかく・・・」と評価をしているのですが、その原因もまた、このような彼の人間性によると考えられます。
「容疑者X」という人物もそうでしたが、ガリレオ・シリーズの登場するのは、自分の言動が他者に与える影響を忖度する能力が弱い人間が多いように思われます。世の中には、そんな人間も多いという観点から読めば、東野圭吾作品にもリアリティーがあるといえるでしょう。このような人物たちは、どこか人間性が破綻していると考えれば、新しい形態の小説を生む可能性にもなります。この人間性、さらには人物造型の問題は続く『真夜中の方程式』においても指摘することができるので、ひきつづき考察してみたいです。
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