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January 2012

『だまされたコロンボ』について

(「新・刑事コロンボ」シリーズの『だまされたコロンボ』の結末部分に触れますのでご注意ください。)
2011年、刑事コロンボを演じていた名優ピーターフォークが亡くなりました。そのこともあり新・旧「刑事コロンボ」シリーズ全作品がブルー・レイBOXで発売されています。今まで商品化されてこなかった新シリーズの作品について言及していきたいと思います。まずは『だまされたコロンボ』です。
犯人が名探偵の能力を逆利用するという設定は、クリスティーやクィーンの古典的なミステリーにもみられたもので、ある人間が他の人間を操作する「操り(あやつり)」の問題として論じられたこともありました。このコロンボ・シリーズの新機軸に「操り」の問題が登場してきたことは、実に興味深いことです。
この「操り」を導入した犯罪においては、犯人も刑事(名探偵役)の能力だのみで、たとえば飛行場のモニターに映っている女性がコーヒーにクリームを入れている映像を発見するというようなことだけでも、探偵側にかなりの観察眼が備わっていなければならないということになります。犯人がしのばせておいた細かな仕掛けを見逃してしまう程度の探偵役しか登場しないのならば、このような犯罪は成り立たないのです。
実は犯人が狙いをつけてくるような優秀なコロンボにも弱点はあります。それは謙虚すぎるがゆえに、自分の能力を利用して犯罪を成立させる人間がいようとは想像できないことです。その点、自分が有名であることを少しも疑わず、自身の知力が世界最高であると悪びれず吹聴するエルキュール・ポアロの方が、この手の犯人の存在に気がつきやすいのかもしれません。
さて、捜査中のコロンボはどの程度まで自分の推理に確信をもっているのでしょうか。あるいは自身の判断を相対化し出した結論を修正するということはないのでしょうか。富豪ハリー・マシューズからダイアン・ハンターの捜査を依頼されたときのコロンボは、まだ事件性に対して疑いをもっていましたが、市長から犯行の実在性を問いただされたときの彼は、死体や共犯者の存在を断言しています。しかしコロンボのことです。表面的には屋敷のどこかから死体が出てくることを期待しているふりをしながら、たとえば穴を掘ることで『パイルD―3の壁』のときのような作戦を練っていた可能性もありますし、容疑者の婚約者にアプローチすることで『殺人処方箋』とときのような戦略をたてていたのかもしれません。「郵便配達は二度ベルをならす」という格言がありますが、だまされたとわかったコロンボも心のどこかで事件が再発することや容疑者の愛情が破綻することを予感していたと想像することはできます。
一度めの犯行と比較して二度めの犯行は犯人の事後処理がはるかに雑です(『構想の死角』を思い出しますが・・・)。やはり、共犯者ダイアンが不在だったことや突発的に事件が起こってしまったことが関連しているのでしょう。もしショーン・ブラントリーが最初から二度めの犯行まで計画していたのだとすれば、コロンボたち警察側は彼を逮捕することができなかったと考えられます(一度無罪になった者は二度起訴されることはないという裁判の慣習を利用した犯罪を描いた有名な推理小説もあります)。名刑事や名探偵は常に巨大な犯人から挑戦を受ける危険性と常に向きあっているのです。
二度めの犯行が行われたと聞いたコロンボは、臆することなく愛車プジョーを現場に向かって走らせています。やはり、彼が犯罪を分析していくのは従来の観察や推測によってです。一度大きな失敗をしたからといって、不必要に落ち込んだり臆病になったりせずに、従来の手法によってやり直していこうとするコロンボの姿をみることができます。
 

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