- 2012-02-21 (Tue) 13:59
- 21世紀アガサ・クリスティー
(アガサ・クリスティー作『オリエント急行の殺人』の真相部分に言及しますので、ご注意ください。)
偽装を見抜き、それらが作為された理由を解明するポアロの思考法が見事です。彼は、列車が雪山で事故にあわず停止しなければ、どうなっていたかを仮定します。それは同時に、もし自分がこの場にいなかったとすれば事態はどうなっていたかを考えるに等しいことでした。見聞や推論といった自分がこだわっているものを、ひとたび白紙の状態にすることでポアロにはみえるべきものがみえてきたといえます。彼にみえてきたこと、それは複数名いると想定される犯人たちは「お互いにお互いをかばいあっている」という関係性です。列車の乗客全員に完璧なアリバイがあることも、犯人が特定されないような残留物がいくつも存在するのも、この論理によって総て説明が可能です。その後、ポアロは乗客一人一人とアームストロング事件との関係を暴いていきますが、自分以外の関係者が犯人として疑われるかもしれないと思いこんでしまう登場人物たちは、自分が関係者であったことを包み隠さず告白していきます。たとえ自分が犯人だと特定されたとしても彼らが誰かを「かばわざるをえない」人種であることを見抜いたうえで、この名探偵は一人一人に迫っているかのようです。イギリス人、フランス人、スウェーデン人、ロシア人、ハンガリー人、ドイツ人が集まるところはアメリカで、そのことから全員をアームストロング事件と関連づけたポアロの論法は、むしろ結果論ではなかったかとさえ思えてきます。
最後にポアロは二つの解答を用意しますが、真相ではない方の答えは彼が犯人たちを救ってやるために考え出されているといえます。すでにポアロは、彼らが自分を犠牲にしても他人を「かばう」ような人々であることを知ったうえで真相にたどりついていたからではないでしょうか。
ドラマの方では、「人間」ポアロを描くことに主眼があるからでしょうが、犯人の罪を前にして苦悩するポアロの姿がみられました。さらには宗教的な問題としても、この犯罪がとりあげられています。原作では事態の解決を友人ブークに委ねたポアロは、ドラマでは自身で究極の選択をしています。イスラム圏から出発した物語の中で、多くの国籍の人間が登場し、キリスト教世界にある「罪」と「罰」、「報復」と「許し」の問題が問いつめられているような印象さえ受けました。最後の選択をして、苦悩に満ちた足どりで去っていくポアロの姿は、最終作『カーテン』へとつながっていくかのようでした。
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