Home > Archives > September 2014
September 2014
アガサ・クリスティー『死者のあやまち』は生者のあやまちか?
- 2014-09-24 (Wed)
- 21世紀アガサ・クリスティー
(『死者のあやまち』の真相に言及しておりますので、ご注意のほどを。文中のページ数はクリスティー文庫のものです。)
まず事件現場のボート小屋に掛けられていた「エール錠」について検証してみます。この鍵が、どのような仕組みになっているかを考えることが、犯人特定へとつながることになるからです。
調べたところ「エール錠」は「シリンダー錠」と同じものらしいのですが、この作品に登場するものには、特殊な性能がついていることになっています。登場人物のマスタートン夫人はp250で次のような説明をしています。
「エール錠だから、ドアをしめさえすればかかりますもの」
はたして夫人が云うように、総てのエール錠がこのような仕組みになっているかどうかは定かではありませんが 少なくとも作品のおける錠はドアを閉めれば掛かる「自動ロック式」になっていたことは間違いないようです。
実は、それならば被害者マーリン・タッカーが外で殺されてからボート小屋に戻されたという可能性が極めて少なくなります。 犯人はマーリンを呼び出すことができたとしても、鍵のロックが自動的にかかってしまう以上、遺体を中に戻すことが難しくなるからです。ですから作中で警察が外部で殺害された可能性を平気で云々しているのは、かなりナンセンスなことなのです。
ジョージ卿の引き出しに入っている鍵をもちだせるか、鍵が自動ロック式になっていることを知っている人物かというだけで、かなり該当者は特定できます。また、この事件では殺害と失踪とが起こっているのですが、このような場合「人を殺してしまった人間が姿をくらました」と考えるのが最も自然な発想ではないでしょうか(この作品においては誰一人として、この当たり前の考え方をしていないようですが・・・)。
とはいうものの、それでは作品の真相は実に単純になってしまいます。
さすがのクリスティー、決して結末が単純にならないように1クッション(いや、2クッション以上かな?)のヒネリをいれています。また、少々うがった推測になってしまいますが、ポアロほどの名探偵(ひいてはクリスティーほどの大作家)が、「エール錠(自動ロック錠)」問題を失念していたとは、どうしても私には思えないのです。
鍵の問題のみに注目しただけで、かなり犯人を絞りこむことができるのですが、おそらくポアロの思考法は、問題の一部分のみを解明しようという方向には向かわないのでしょう。ジグソーパズルを完成させるかのように、この名探偵は真相を解明していきます。殺人犯が誰かという問題のみならず、「事件の背景」や「犯人の動機」といったものまで含めて、隈なく総ての謎を解き明かすように(パズルでいうならば全ピースをはめこむように)、彼は全体像を作りあげていくのです。
誰しも部分的な事柄から全体像を思い浮かべることは可能なのですが、彼は決して想像力に頼ろうとしません。名探偵ポアロの完璧主義(潔癖症?)は、このようなところに見事に描かれていると考えられるのです。
ところで『死者のあやまち』は、かなり大胆な設定の作品だといえます。架空の推理ゲームを演出していたら、被害者役の人物が本当に殺されてしまうわけですから。オリヴァ夫人が考案した推理ゲームの解答を見つけ出すことが、現実に起こった殺人を解明するヒントになっていたとすれば、いわば二重構造(劇中劇構造)をもった新機軸の作品として完成されていた可能性もあります。この作品では、「推理ゲーム」と「実際の事件」に相互影響があったのではというところまでは描かれているのですが、惜しいことに二重構造(劇中劇構造)作品にはなりませんでした。達成するのは困難でしょうが、今後『死者のあやまち』に触発されて新機軸の作品を創作しようとする作家は登場するかもしれません。(「架空の物語」が「実際の事件」に影響を与える作品でしたら、エラリー・クイーンにもあるんですが・・・)
さて作品『死者のあやまち』はデヴィッド・スーシェのTVドラマ「名探偵ポワロ」シリーズの最後の撮影作品になりました。作品としては『カーテン』が最後なのですが、デヴィッド・スーシェは哀しい『カーテン』では終わりたくなかったようです。最後の作品にふさわしくロケ地はグリーンウェイにあるアガサ・クリスティーの別荘が選ばれました。犯人の複雑な失踪方法もドラマで描かれると実にわかりやすいです。
ただ難点となるのは、やはり冒頭に述べた「鍵」の問題です。ドラマの中ではボート小屋の鍵が自動的にかかるという説明がありませんでした。死体を発見するときにオリヴァ夫人がボート小屋の鍵を開けている以上、「自動ロック式」でなかったならば被害者が殺害された後に誰かが施錠していなければならなくなるのです。犯人は殺害直後に巧みなトリックを使って失踪しているわけですから、鍵をジョージ卿の引き出しに戻す時間はなかったはずです。ジョージ卿自身が施錠に協力した、あるいは4つめの合鍵が存在したと考えざるをえなくなってきます。
この辺りがドラマの難しいところです。どうしても細部は省略しなければならないのですが、その細部が肝心なポイントを指し示してしまっていることもあるのです。このような瑕瑾はあるものの、ここは四半世紀にわたって「名探偵ポアロ」を作り続けたデヴィッド・スーシェとスタッフの偉業に、ただただ賛辞を送りたいと思います。
実は映画『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』と同じくピーター・ユスティノフがポアロを演じる『死者のあやまち』もあるそうです。見比べるためにも、スーシェ版がファイナル・シーズンを迎えたことを契機にDVDで発売してほしいものです。(鍵の所在が重要な「鍵」となるアルフレッド・ヒッチコックの名作『ダイヤルMを廻せ』も、何だか懐かしく思い出されてきました。久しぶりにDVDで鑑賞してみたいです。)
- Comments: 0