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January 2012
クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』論④(ファイナル)
- 2012-01-27 (Fri)
- 21世紀アガサ・クリスティー
(アガサ・クリスティー作『マギンティ夫人は死んだ』の真相部分に言及しますのでご注意ください。)
さて、この物語のサイド・ストーリーは事件解決後の青年ベントリイの恋愛問題です。ベントリイ青年を救おうとしたモード・ウィリアムズではなく、デアドリイ・ヘンダースンが本命だったというドンデン返しがついているのですが、物語の途中でベントリイが罠にかかったデアドリイの犬を救済していたという伏線は用意されていました。実は、凶器に使われたシュガー・カッターに関する件で、事件解決後もやや不鮮明に終わっている問題があります。まず犯行当時、凶器があった場所が問題になっていました。その凶器がバザーに出品されていた時期によって、サマーヘイズ家にあったのかウェザビイ家(デアドリイの家)にあったのかが違ってくるのです。場所については、最後に真犯人が誰であったのかという問題と同じように解明されるのですが、その件に対してポアロがデアドリイにたずねたときの不自然な応答の問題は残ったままです。ポアロがシュガー・カッターについて聞いたとき、彼女は「なぜ、そのようなことを聞くのか」という誰でもが口にする質問を一切しなかったのです。ひょっとしたら、すでに彼女は何が凶器として使われたかを知っていた、ということは犯人を知っていたという可能性があります。アップワード夫人が殺害された夜、四人の女性が電話で夫人の家に呼び出されるのですが、デアドリイだけが呼び出しに応じています。そのことにも何か理由があったのかもしれません。(実際にデアドリイを呼び出したのが被害者だったのか犯人だったのか不鮮明なところはありますが・・・)。デアドリイと犯人は恋仲で、彼女は利用されていたのかもしれません。もし、そうだとすれば不幸な恋をしたデアドリイがベントリイ青年と幸福な結婚をすることをポアロが強く望んだこともうなずけます。
ドラマ化をするに際しては、どの要素を割愛するかがは重要な問題になるでしょう。例えば、不必要な容疑者は抹消されてもいいでしょうが、あまり人数を減らしてしまうと真犯人が絞られやすくなってしまいます。ドラマでは、新聞の記事に掲載されていた女性の人数が四人から二人に減らされていたり、デアドリイも含めウェザビイの家族が割愛されていたりする一方で、増やされている要素もありました。ベントリイが詩を解する青年として設定されているのも独特なのですが、郵便局のミセス・スイーティマンとジョー・バーチ(マギンティ夫人の姪の夫)が不倫関係にあるという設定はドラマだけにあるものです。原作では、ジュン・バーチと初対面ポアロは一旦その様子に不審なものを感じるのですが、例の古新聞が発見された段階で、この姪夫婦は容疑者から、さらには登場人物たちからも枠外におかれた感じがします。ドラマの方は、この姪夫婦も最後まで容疑者の頭数に入れています。ドラマの方は、そのように設定をアレンジすることにより、原作にはない味わいを作り出しています。
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クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』論③
- 2012-01-24 (Tue)
- 21世紀アガサ・クリスティー
(アガサ・クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』の真相部分に言及しますのでご注意ください。)
ところで、事件を解決する過程で、疑問を感じざるをえないような行動をポアロがしているところがあります。事件の鍵となる写真を集まった村人たちに見せてしまうところです。あまりにも彼らが事件のことを軽々しく話題にするので、つい腹をたてたポアロがことの深刻さを訴えるために見せてしまったのでしょうが、これは少し軽率な行為ではなかったでしょうか。その集団の中には犯人やマギンティ夫人と同じく写真が何者を示しているかに気づく人間がいるかもしれないのです。誰かに何かを悟られたと感じた犯人が次の犯行におよんでしまう可能性もあります。実際、この後にアップワード夫人殺害事件が起こってしまいます。ポアロは彼女が探偵の真似ごとをしたことが問題だと主張していますが、危険をもたらした責任がポアロにもあることは明白です。
そもそも自分が名探偵であると名のりをあげて村にやってきたポアロ自身にも危険がおよぶ可能性はあったのです。実際に彼も駅のホームで背中を押されて命を失いそうになっています。ポアロにはみずからの危険を顧みないところがあります。事件を解決するためならば、命を失うことも厭わないという一種の騎士道精神を彼はもちあわせているのです。(その精神が最終作『カーテン』の結末をもたらすわけですが・・・)自分の危険を顧みない人間は、他者の危険にも鈍感なところがあるものです。アップワード夫人に危険がおよぶ可能性にきづいたポアロは、真実を総て話すよう夫人に頼むのですが、田舎の英国人はみだりに結論めいたことは口にしないのだという理由で断られてしまいます。そのアップワードの言葉を、ポアロは自分が外国人(ベルギー人)であることへの批判だと受けとってしまいました。自分が英国人ではないことに過剰にこだわってしまうところもポアロの弱点なのかもしれません。
この第二の殺害が実行されたことによって事件は解決したともいえるのです。アップワードが犠牲になることによって、容疑者ベントリイ青年は死刑にならずにすんだともいえます。一人を救うために、一人を犠牲にする。ポアロの判断が、そんな残酷な結末をもたらすこともあるのです。
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クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』論②
- 2012-01-24 (Tue)
- 21世紀アガサ・クリスティー
(アガサ・クリスティー作『マギンティ夫人は死んだ』の真相部分に言及しますのでご注意ください。)
切り抜かれた記事は、かつて意図せずに犯罪に関わってしまった四人の女性に関するものでした。そこから、記事に掲載されていたものと同じ写真を、村人の誰かの家で目撃していたマギンティ夫人が殺害されてしまったという仮説が次に立てられることになります。ポアロは物事を転倒させて考えてみるというお得意の思考法によって、真相に迫っていくのですが、最終的に犯人を決定づけることになるのは、実はこの記事の内容が間違っているということに彼が気づいたからでした。
記事の間違いを発見する直前のポアロは、被害者と加害者を転倒させるという発想法により、あたかも被害者であるかのようにあつかわれていたエヴァ・ケインがまぎれもない加害者であり、彼女の計画によって殺された女性(クレイグの妻)の娘が復讐のため犯行におよんだということまで見抜いています。この時点では違った犯人を指摘してしまう可能性もあったのですが、ポアロは事件の時間的な経緯を再確認することによって、「娘を息子に」そして「実子を養子に」逆転させて考察し、真相に到達しています。実は、この記事に書かれた内容に関しては、すでに二点ほど間違いが指摘されていました。クレイグ事件が起こった年号が一年ずれていたことと、事件後エヴァ・ケインが身をおいたのはアメリカではなくオーストラリアだったことです。マスコミがいかに不正確な情報をもたらすかという問題でもあるのですが、ある事柄の間違いを見つけたとき、おおむね人はそれ以上の間違いがあるとは考えないものです。徹底的に疑い続けるということは、それだけ難しいものなのかもしれません。
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クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』論①
- 2012-01-22 (Sun)
- 21世紀アガサ・クリスティー
(アガサ・クリスティー作『マギンティ夫人は死んだ』の真相部分に言及しますのでご注意ください)。
前回『名探偵を推理する1 ポアロ』を発刊した後に、新たにDVD化された作品があるので、それらについて言及しておきたいと思います。
まずは『マギンティ夫人は死んだ』です。マギンティ夫人という家政婦が撲殺され、下宿人のジェイムズ・ベントリイという青年に容疑がかかります。やがて裁判が開かれベントリイ青年の死刑が確定してしまうわけですが、捜査を担当したスペンス刑事は納得がいきません。どうしても彼が犯人だと思えないのです。そこでポアロ(ドラマではポワロ)に相談に来たというわけです。
最初のスペンスとポアロとの会話に、ポアロ独特の思考法を見出すことができます。この事件では犯行に使われた凶器が発見されていません。凶器が特定されていないのに死刑が確定するとは、当時の裁判はいい加減なものではなかったのかとも思われるのですが、一方、盗まれた現金は夫人の住居の裏庭から出てきます。凶器と比較してみた場合、あまりにも盗品の方は安易な隠され方をしていたのです。その矛盾点に気づいたポアロは、「想像力がおよぶかぎり」事件の背景を深読みすることが重要だと説きます。そして、多くの事件は被害者の人間性を観察すれば解決するが、この場合は加害者こそが問題だというような高説を語り始めるのです。ポアロはもってまわったいい方をするので、わかりにくいのですが(実際に、この物語のなかで依頼人スペンス警部は、何度もポアロの物いいにいらだっています)、要するにこの名探偵は加害者と被害者とを転倒させる必要性を語っているのです。加害者とされたベントリイは、実は被害者だったかもしれない・・・つまり、真犯人に罠にはめられたのかもしれない、という可能性に彼は行きついたわけです。物事を転倒させて考えるという手法は、ポアロが真相を見抜くための常套手段です。この物語のなかでも彼は何度もこの思考法を実践しています(実際、この時点でのポアロの指摘は的中していたわけです)。
その後ポアロは実地調査に乗りだします、が、あらためて調べたところで捜査は進展しません。すでにスペンス警部も充分な捜査をしていましたので、ポアロができたことは、せいぜい警部が見聞したであろうことをなぞるぐらいです。手がかりらしきものも見つかりそうにありません。それでもポアロは自分に必ず何らかの「啓示」が与えられるであろうと信じ続けます。そこで彼が向かうのは郵便局です。当時の郵便局はコンビニエンス・ストアの役割を兼ねているようで、クリスティーの小説世界では情報(噂)が集まりやすい場所として、しばしば登場しています。
郵便局に勤めるミセス・スイーティマンの話から判明したのは、殺される直前マギンティ夫人がインク瓶を買っていったということです。それだけでは他愛もないことなのですが、ポアロが素晴らしいのは、その事実とマギンティ夫人の人間性を重ねあわせて考えることができるというところです。普段、手紙を書かないような人間がインクを買ったとポアロは想定し、何か手紙を書きたくなるようなことを死ぬ直前のマギィンティ夫人は見聞していたのではないかと仮説をたてたのです。その発想に基づいて、ついに彼は夫人の遺留品の中から記事を切り抜いた古新聞を発見しました。夫人の遺留品はスペンス警部も見ていたはずです。しかし、ポアロだけが古新聞を見落とさなかったのは、彼がインク瓶という些細な事柄から、まさに「想像力がおよぶかぎり」、その背景に隠れている事実を見出すことができていたからです。この点に、この名探偵の想像力のすごさを感じとることができます。
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