- 2015-06-16 (Tue) 21:01
- 読み違えエラリー・クイーン
(エラリイ・クイーン『災厄の町』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることならハヤカワ文庫の越前敏弥先生の新訳でお読みになってから、お読みください。文中に記載されているページ数は、そのハヤカワ文庫版のものです。)
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では、ノーラが犯人でなかったとすれば、真犯人は誰か? それを指摘する前に、この『災厄の町』の中に書かれていることで不思議かつ奇妙だと私が感じたことを述べておきたい。例えば、三年間も留守にしていながら、なぜジムはヒョコヒョコ帰ってきたりしたのだろうか。だいたい突如婚約者を捨てて出ていった男が、許してもらえると考えること自体が図々しい。実は、ある友人から教えてもらったことなのだが、何でも日本という国には平気で男が三年待たせた女のところへ戻ってくる古い物語があるそうだ。確か「イセのアヅサユミ」とかいう題名だったと思う(註;『伊勢物語』第二十四段のこと)。ジムは、その物語を読んで思うところがあったのではないのだろうか。この古い物語では、最後には待っていた女が死んでしまうと聞いている。何だか『災厄の町』の下敷きになっていても、よさそうな話ではないか。
ノーラは一応あのときジムが失踪した理由を説明していた(p218)が、はたしてこれも本当の話だったのだろうか。自立心の強かったジムは、自分の給金で家賃を支払える家を町の反対側に借りようと決めていた。にもかかわらずノーラの両親が勝手に家を建てて家具までそろえたことが、失踪の原因だったと彼女は説明していた。この一件がジムのプライドを大きく傷つけていたことは間違いない。しかし、それだけの理由でジムは本当に町を出ていったのだろうか。しかも、三年間連絡もなしとは。一瞬ジムが激怒してしまったとしても、よくふたりで相談しあって、ジムが借りようとしていた家に住めばよかっただけの話ではなかったのか。この一件には、どうも明かされている以上の秘密が隠されているような気がしてならない。
これは私の邪推に過ぎないが、ジムと長女のローラとの仲も、どうも気になって仕方がない。貴方が記載されたことを読むかぎりでは、その前後関係が明確でないところもあるのだが、ジムとノーラがつきあい始めた頃には、駆け落ちから戻ってきたローラは、すでにライト一家とは疎遠になっていたはずである。それにしては失踪から戻ってきたジムが妙にローラと親しいのである。深夜に酔っ払ってアパートにまで行き、金を無心までするなんて、たいした仲だ。ローラもローラで不動産屋のペティグルーから借金までして、愛する義弟のために金の工面をしてやっている。ローラが妹思いの姉だったとしても、そこまでしてやる彼女の思いには、何か過剰なものが感じられる。そもそもジムとローラの間にも人には言えぬ何かがあって、ジムの失踪期間が三年もの長きに渡った理由も、その何かの中に隠されているとは考えられないだろうか。
さて、これら一連のことに端を発し、ジムとノーラが住むことになっていた家は「災厄の家」と呼ばれるようになった。そこに住もうとしたハンター氏が死んでしまったわけだから、この名称は決定的なものになってしまった。貴方自身も「この家にはたしかに何かがあった。・・・そう、空虚で、中途半端な、どこか宇宙を思わせるような何かだ」と書いている(p35)。やはり、この家は建てられてはならなかったのだ。ただし、飽くまでも私は、呪術的な意味ではなく、物理的な意味でこの物語の舞台が「災厄の家」だったのではないかと考えてみたいのである。
実は、私の専門分野にも関連することなのだが、超常現象、オカルト現象、あるいはポルターガイスト現象の大半は嘘である。そして、ほとんどのミステリー作品においては、その嘘には捏造されるだけの理由がある。もっと限定した云い方をしても差し支えないだろう。ミステリーにおいては、ある場所で超常現象が起こっているというデマが囁かれるとき、必ずその場所には何かが隠されている。隠されているものは、死体か宝物(現金)のどちらかだ。人を怖がらせて家に近づけないようにするためのデマが流されるのである。もちろん世の中には「怖い物見たさ」で侵入してくる者もいるだろう。そんなときも侵入者の目は飽くまで怖い物に向けられて、本当に隠されているものには向かわないものである。
この「超常現象の家(幽霊屋敷)=死体か宝の隠し場所」というパターンは、かなり古くからあったミステリーの定石である。シャーロック・ホームズのライヴァルと呼ばれる探偵たちが活躍する一連の作品にも散見される。アガサ・クリスティーが生み出した聡明なる夫婦探偵などは、ポルターガイスト現象が起こる幽霊屋敷があると聞いただけで、そこに宝物が隠されていると断定しているほどだ。もちろん、このパターンは現代でも継承されており、様々なバリエーションに変奏されながら援用され続けている。