『詩集 そしてまた霧がかかった』
著:李 晟 馥 訳:李 孝 心・宋 喜 復 監修:韓 成 禮
四六判、並製、160ページ
定価:本体2,000円+税
ISBN978-4-86385-155-9 C0098
抒情的で箴言的な愛踊の詩
一九八〇年代に最も影響力のある若手詩人として台頭し、現在も変わらず韓国詩壇を代表する一人である李晟馥。代表詩のひとつ「南海錦山」は今でも韓国人の愛誦の詩として広く読まれ続けています。その第二詩集『南海錦山』(一九八六年出版)を翻訳出版しました。この詩集に収録された七六篇の詩は、民主化以前の韓国社会に対する個人的な、あるいは集団的な痛苦として読まれています。この痛みは時には辛く、しかし、極めて美しく透き通り、抒情的で箴言的です。玄界灘を越えて、今、愛の言葉が光を放ちます。
著者プロフィール
李 晟 馥(Lee Seong Bok イソンボク)
1952年慶尚北道尚州生まれ。
ソウル大学で仏文学科を卒業し、同大学院で修士・博士号取得。1977年、「馴染んだ遊廓で」などの詩を文芸誌「文学と知性」に発表して詩人としてデビュー。
詩集として、個人的人生を通じて確認した苦痛の生を、普遍的な生活の姿に拡大しながら真実を追求した『寝ころぶ石はいつ目覚めるのか』(1980)、日常の基底に位置する悲しみの根源を叙事的に表した『南海錦山』(1986)、恋愛詩の抒情的語法で、世の中に対する普遍的理解を見せた『その夏の終わり』(1990)、無意識に過ぎていく日常生活や世の中との関係を表現した『柊の記憶』(1993)などの詩集があり、この他に『ああ、口のないものたち』(2003)、『月の額には波模様の跡』(2003)、『レヨエバンダラ』(2013)などがある。
1980年代の韓国で、最も影響力のある詩人であった。
受賞として、金洙暎文学賞(1982)、素月文学賞(1990)、大山文学賞(2004)、現代文学賞(2007)、李陸史詩文学賞(2014)などがある。
現在、韓国大邱所在の啓明大学文芸創作科名誉教授。
日本語訳者プロフィール
李 孝 心(Lee Hyo Sim イヒョシム)
1963年ソウルで生まれ。高麗大学史学科、名古屋大学の文理大学院日本史学の修士課程を卒業。現在、名古屋韓国学校の校長として在職。
宋 喜 復(Song Hui Bok ソンフイボク)
1957年釜山で生まれ。東国大学国文科と同大学院の博士課程を卒業。現在、晉州教育大学の教授として在職。
訳書: 韓日対訳詩集『着物の女と缶コーヒー』(宋喜復訳、2007)
監修者プロフィール
韓 成 禮(Han Sung Rea ハンソンレ)
1955 年井邑生まれ。1986 年〈詩と意識〉新人賞受賞で文壇デビュー。
〈許蘭雪軒文学賞〉受賞。詩集『実験室の美人』、『柿色のチマ裾の空は』(日本語詩集、書肆青樹社)。
日韓戦後世代100人詩選集『青い憧れ』(1995年)と『新しい風』(2001年)を企画翻訳し、両国同時刊行。
現在、日韓文学の交流のために、両国の文学作品(宮沢賢治、辻井喬、村上龍など)を活発に翻訳・紹介している。
もくじ
序 詩
一 帰郷
帰郷
ここでは小さな身振りの一つも
また雨が降れば
母さん1、2
スイカ
聖母聖月1、2
春の日の朝
金色の蜘蛛の前で
盆地日記
昨日は一日中歩いた
ドアを開けて入り
凋落する秋の光に
夜が来れば道が
明け方三時の木
上流へ遡る魚の群れのように
真っ赤な実が音もなく
君の深い水、私を閉じこめた水
波だった、押しのけられない波だった
彼が来る道を
今 傾斜に乗って下り
日差しの中で地は
水と光の終わる所で
高い木の白い花々の燈
草緑の枝は燐光の灯を掲げて
私たちは全く違う白い花々を感じつつ
煉獄の果てから
やがて頭の中に
花咲く頃1、2
ヨルダンを渡るあの秋の陽
二 そしてまた霧がかかった
そしてまた霧がかかった
遥かなるものが雨粒となり
約束の地
先祖たちはよく泣いていた
川
川辺の地面に生える草
人形を背負った一人の子どもを
また春が来た
鳥たちはここに巣を作らない
激しい苦痛もなく
高く聳えた松ノ木の森が
かすかな灯は消えてはいなかった
不思議だ、不思議、日差しの燦然たる夜毎に
行こう、あの木々も
私の心よ まだ覚えているのか
黄色い陽が行く
青い草よ
彼の家の屋根の上には
耳には世の事柄が
食堂の主人が
恥の終り
三 南海錦山
南海錦山
テス
遠からずこの欲望も
急に懐かしさが押し寄せ
月日の褶曲よ、記憶の断層よ
君の上の青い枝
心は推し量れぬほど
散るべき時を知る瞬間の
夜は広くて高く
幻聴日記
苦痛の次に来るもの
長く苦痛を受ける者は
それはほとんど演劇
木々を越え 翼を広げる海へ
血が滲むように
もう帰らせてください
恥について
目覚めたら亀甲のような恥が
あなたは獣、星、
静寂だけが
日差し、日差し
記憶には平和が来ず
解 説 恥の詩的変容 金 炫
訳者あとがき
詩
そしてまた霧がかかった
そしてまた霧がかかった ここで口に出来ないことがあった 人々は話す代わりに膝で這って 遠くまで道をたどった そしてまた霧は人々の肌の色に輝き 腐った電柱に青い芽が生えた ここで口に出来ないことがあった! 加担しなくても恥ずかしいことがあった! そのときから人が人に会って犬のように咆哮した
そしてまた霧は人々を奥の間に追い遣った こそこそと彼らは話しあった 口を開く度に白い泡が唇を濡らし 再び咽喉を降りていった 向かい合うべきではなかった 互いの眼差しが互いを押して霧の中に沈めた 時折汽笛が鳴って床が浮き上がった
ああ、ここに長い間口に出来ないことがあった・・・・・・