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家より広い畑を手に入れてはじめた自然農、目指すは完全自給自足。『ぼくらのいえができるまで』作者のツマエンジェルと農業ロマンの男・オットエンジェルによる往復書簡。「いえ」のその後を公開中!
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私の娘が生まれて今日で10年だ。彼女はあと2週間で臨月というときに私のお腹の中で静かに呼吸を止めた。そして生まれてきた。

分娩後の5日間は、周囲にそれとなく私を1人にしないようにする雰囲気があった。面と向かって言われたわけではないけれど、「万が一のことがあったらいけないから」、ということだったのだと思う。そんなことは経験したことがなかったので少し驚いた。でも確かにそのとき、私はこれからどうやって生きてゆけばいいのかわからなくなっていた。

10年後の今日、私はずいぶん広くて明るいところにいる。自由で元気で力があって、明日が来るのが楽しみで仕方ない。

けれども私はいつでも帰ることができる。夫と私と、保冷剤をまとった美しい赤子が眠る世界の果てみたいなあの病室へ。

10年経った今でも、私の一部はまだあの部屋にいて、娘の顔をのぞき込んでいるのだ。

10.jpg

みなさまにあたたかく見守っていただきまして、八朔は無事一歳になりました。本当に本当にありがとうございました。

2007年にここで二度目の妊娠のご報告をしてから、「家のその後」ブログを見に来てくださった方々に、ワタクシメの事で本当に本当にご心配をおかけしてきました。

ひとのちからはむげんなんだなあ。

教えてくれてありがとう、あなた。
これからもどうぞ、よろしく。

konatsu

戸籍もないし、心臓を止めてしまった日のことなのか、お腹から出した日のことなのかわからないけれど、私たちの気持ちの中では、それは8月12日。砂糖菓子を買ってお供えしました。いつか二つの命を連れて、小夏が還ってくれたらいいな。

早いような、永いような、さびしいような、せつないような、記憶。

さあ今日も、のんびりたのしくやっていきましょう。

漢字で書くと「八朔」です。
そう、柑橘類のあれです。

hassaku

八朔というのは旧暦の8月1日のことで、ちょうど今頃、もともとの予定日のあたりの日のことです。その昔には豊かな秋の実りに感謝するお祭りが行われ、おめでたい日とされていたそうです。

私は「八」という字に特に思いを込めています。
大学時代に出会った私とオットエンジェル、その二人を育ててくれた家族、仲間、生きられなかった小夏、小夏の前に宿った小さな命、小夏ともう一度宿った新しい命の無事を祈ってくださった「あなた」、これから八朔を大きく強くしてくれる揺るぎない自然の力。挙げればきりがない命のつながりを、八という数字に感じています。

オットエンジェルも彼なりの思いを馳せているし、私ももっともっといろんなナイショの意味をこめています。あんまりだらだら説明しても、ね。

そして、当然ですが、エンジェルんちの畑にもたくさんの柑橘類の果樹に混じって、八朔の木が植えられています。苦くて酸っぱくてきゅっと甘い、私たちの大好物です。

おまけ。

hassaku

お乳をたんと飲んで満腹になると、こういう「しえ〜っ」という表情をします。

2009年9月8日、ぼくらの子どもが生まれました!
温かい言葉をくださったみなさん、本当にありがとうございました。
こっそり応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
ぼくらや、小夏や、生まれてきた子どもへのみなさまのお心づかいをぼくは決して忘れません。

生まれてきたのは男の子ですが、小夏に似ている気がします。
小夏が戻ってきてくれたらと何度願ったかしれませんが、この子は小夏の弟だと思って育てます。小夏はやっぱり、2年前、腕に抱いたあの子なんだろうと思います。
でも、ひょっとしたら、小夏が戻ってきてくれているのかもしれないので、この子は小夏の分もあわせて大事に育てます。

妻が退院したら、赤ちゃんのこと、もっとくわしくお知らせします。
とってもかわいい赤ちゃんです。(親バカかな?)

今日から予定入院します。
もしよければ、あなたも祈っていてください。

まずは、弟夫婦に今朝産まれた、新しい命よ、おめでとう。

sky

ただひたすらに家でじっとしている毎日です。
あんまり天気が良かった休日、縁側にごろんと寝ていて撮った写真です。
オットエンジェルは、せっせと畑仕事に励んでいます。
今日、は、しあわせです。
明日のことは明日。

kurimanju

これは、昨秋、門司港を旅したときに買っためかり柳月堂の栗饅頭。

妊娠生活についての詳細は、「小夏を探す旅」で更新します。

小夏の心臓がとまって一ヶ月が経ちました。
ぼくらの心の中は、いつも小夏でいっぱいで、これは二ヶ月経っても、三ヶ月経っても変わらないと思います。

でも、ここで小夏のおはなしをするのは、ひとまず今日までにしようと思います。

小夏の心臓がとまってしまった日のこと
その前日に、ぼくが蜂に刺されてうろたえていたこと
その日の朝に小夏の肌着をはじめて洗濯したこと
そのまた前日に妻が入院したこと
病室で他愛もない話をしたこと
病室の窓の外からガチョウの鳴き声がのどかに聞こえていたこと
それを幸せだと感じていたこと

何度も何度も思い出すこれらのことや、そのときのぼくらの気持ちは、どう表現のしようもなく、お伝えする術を知りません。

ぼくは、この一ヶ月間、小夏の心臓がとまっても平凡に過ぎていこうとする毎日に我慢ができず、なんとか抵抗したくて、もがいていたように思います。

でも、これからは、前を向いて生きようと思います。
この秋は、石窯プロジェクトを進めていこうかな。

そもそもぼくらは、ぼくらの暮らしが楽しいから、小夏も仲間に入れてやろうと思っていたのです。
ぼくらが楽しく暮らしていたら、小夏もいつか戻ってくるんじゃないかなー。

小夏の月命日に、また絵を描きました。
こいつが、ぼくらの大好きな小夏です。
konatsu
妻似です。頭の形と髪質はぼく似みたいです。

何人かの方には、小夏のアルバムを見てもらいました。
小夏は、戸籍に名を残すことはできなかったけれど、妻のお腹の中で何ヶ月もの間、しっかり育って、こんなに大きくなっていたってことを知ってほしかったんです。

最後になってしまいましたが、みなさんからいただいた励ましのお言葉は、少なからずぼくらの支えになっています。本当にありがとうございます。

あー、コホン。・・・全然、元気になってません。やれやれです。

レンコンの胡麻煮やらひじきと切り干し大根のサラダを、キリン淡麗350mlでちびちびやって、我らふたり、号泣です。ふたりで350mlで、です。めちゃくちゃ安上がりです。

確かに妊娠して、確かに出産したのに、今ここに小夏がいないということが、とにかくさびしいです。

小夏の顔を見に来てくれたあなた、ありがとう。私が送った乱暴な訃報に慈悲深いことばをくれたあなた、ありがとう。9月の平和な晴れた日に、小夏のことをそっと思ってくれたあなた、ありがとう。

私と夫は、また小夏に会いたいと思っています。強くなりたいと、思っています。

見かけに寄らず全く涙もろくない夫が、泣き続ける姿を初めて見ました。私は、まぶたの上のお肉がもったりとはれ続け、いくらなんでも、というくらいひどい器量の悪さです。母や従姉と沈黙を埋めるようにどうでもいいことをだらだら話し続けたら、翌日にはのどが枯れ、声までひどいという有様です。

14の夏に戻ったように、ただ、その辺に流れている音楽や言葉を、体の穴という穴が吸収していきます。33になって、ここまで混乱し、途方に暮れ、真っ白になれるとは思ってもみませんでした。

でも、まだ、たったの33年です。

油山の緑の家に戻ってから、夫と私は、小夏に毎朝の美しい日の出を見せています。毎日3食きちんと食事をして、終わったらすぐに食器を片づけて、水回りを清潔にしています。

1カ月、「畑に降りたエンジェル」の更新をお休みします。9月12日、ここに戻ってきて、もう少し先のことについて、話せるようになります。

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