アフリカをさるく
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どぶさらい
- 2010-08-01 (Sun)
- 総合
前回、ラゴスが案外と涼しいと書いたが、それは朝夕のことで、日中曇が消え去り、日がさしてくると、さすがに暑くなる。気温はすぐに40度を超える。こちらではあまり帽子をかぶった人は見かけないが、髪の毛の薄くなった身には帽子なくしてはとても外を歩けない。
ホテルのある地区は住宅や飲食店、雑貨店が立ち並んでおり、夜間でも一人で歩いていても大丈夫だ。私のような者は普段見かけないせいか、通りを歩いていても、地元の人がビアパーラーと呼ぶ飲み屋でビールを飲んでいても、にらみつけられるような視線を始終感じる。でも、これは多分に好奇心の表れであって、軽く頭を下げて会釈したりすると、気持ちのいい微笑を返してくれる。
ラゴスでほぼ一週間過ごして、やりきれない思いを抱くことが一つ。通りのむき出しになった排水溝が実に汚いのだ。汚水がたまりにたまって形容しがたい溝もある。ホテルの一帯は臭わないが、マーケットによっては腐臭が鼻をつくところもある。
先日の早朝、鍬のような道具で排水溝を掃除している若者を見かけた。声をかけると、「今日はエンバイロメンタル・デイ(環境保全の日)です。だから店の前の溝のどぶさらいをしなくちゃいけないんです」と語る。
ラゴスがある州のマーケットや商店では毎週木曜日の午前7時から10時まで、このどぶさらいが義務付けられているという。その間は店を開けてはならない。散策した後ホテルに帰ると、ホテルの前に人だかりが。のぞきこむと、この地区を管轄とする役所の環境・公衆衛生担当の職員の人たちが掃除の状況を査察しているところだった。私には分からないやり取りがあった後、ホテル側に「掃除が行き届いていない。一週間以内にきれいにするよう」という告知状が手渡されていた。
あまり書きたくはないのだが、どぶさらいとともに、ぜひ戒めてもらいたいことがある。ここでは男はだれもかれも排水溝で立ち小便していることだ。公衆トイレを設けて、通りから立ち小便をなくすべきだとビアパーラーで隣り合わせた人に言うと、「俺もそう思う」と同意してくれたが、熱意はなかった。日々の生活のやりくりのほうが彼らにとって頭を悩ますことだ。
(写真は、自分の店の前でどぶさらいをする若者。写真を撮っていると、公衆衛生の大切さを説くおじさんが寄ってきた)
日本より涼しい?
- 2010-07-30 (Fri)
- 総合
日本は依然、猛暑が続いているようだ。ここラゴスも負けてはいない。なにしろ、赤道直下の都市。ただし、今は雨季のシーズンにあたり、思ったほどの暑さではない。だからホテルでも冷房がたえず必要というわけではない。午前4時過ぎに目覚めてしまうのは暑さゆえではなく、日本との8時間の時差を体がまだ「解消」できていないため。毎夜のように足を運んでいる飲食店では店の外のテーブルでビールを飲んでいるが、ここがアフリカというような涼しさだ。
ラゴスで投宿したのは空港から車で10分ほどの距離にあるオープンしたてのホテル。ホテルといっても、傍目からは二階建てアパートのような建物だ。深夜にチェックインして翌朝気づいたことだが、通常どのホテルにもある書き物をする机とイスがなく戸惑った。トイレも何と呼んでいいのか、あの「大」をする時に腰をかける覆いがなかった。洗面所には石鹸すらなかった。停電もしょっちゅうだが、これはこの国の問題だからいたし方ない。それでも、近くの国際的に名の知れた高級ホテルに比べれば7分の1以下の宿代だし、スタッフも親切で笑顔で応対してくれるから文句を言ったら罰が当たるというものだ。
ホテルの出入り口は頑丈なドアが立ちはだかり、銃を持った警察官が24時間警備している。オーナーは「本当は必要ないのだが、あなたのような泊り客が安心するだろうから警察にお金を払ってきてもらっている」と語った。
ナイジェリアを始めて訪れたのは今から20年以上前のこと。まだ軍政だった当時と比べれば大きな差異を感じる。ラゴスの治安が格段に良くなったことだ。ありとあらゆる品々が所狭しと陳列され、人と車、バイクなどが日本では考えられない「密度」ですれ違うマーケット(市場)を歩いている時はさすがに緊張するが、人々の笑顔が増えたように思う。ただし、人々の暮らし向きは依然厳しく、多くの人が「我々の国の最大かつ最も深刻な問題はコラプション(汚職、腐敗)。コラプションさえなければ我々は世界に誇れる豊かな国になっているはず」と憂える。
コラプション同様、昔も今も変わらないのはラゴスのすさまじい車の運転、交通事情だ。車間距離の根本的な考え方が異なるのか。大げさな言い方をすれば、センチ単位の隙間をついて割り込んでくる感じだ。ここでレンタカーする考えさえ浮かばない。タクシーの運転手が言う。「ラゴスで運転できれば世界中どこに行っても運転できるさ」。全く同感だ。
(写真は人々でごったがえすラゴスのマーケット。このマーケットは電気製品が売りなのか、コンピューター・ビレッジと呼ばれていた)
お知らせ
- 2010-07-24 (Sat)
- 総合
私は今は「さるくは小休止でござる」という名のブログを書いています。
http://www.kankanbou.com/saruku/
お知らせまで(2013年夏)。
私は今、西アフリカのナイジェリアという国にいる。7月22日夜、住んでいた福岡市から関空に飛び、エジプト航空に乗り換えカイロ経由で、翌23日昼過ぎ、この国の最大の都市でありかつての首都であるラゴスに到着した。
私は今年3月末、それまで31年勤務していた読売新聞社を退社した。現在56歳。定年はまだ4年先だったこともあり、社の先輩、同僚、友人たちからは「なんでこの時期に?」と不思議がられた。アフリカ行きのことを知るに及んでは、さらにいぶかられた。「いい年をして、センチメンタル・ジャーニーでもあるまいし」と。確かに「センチメンタル・ジャーニー」にアフリカは、特にナイジェリアはあまり似つかわしくない。でも、私にとって今回のアフリカ行きはずっと温めていた構想だった。
私は1987年から90年にかけて、アフリカ特派員として東アフリカ・ケニアの首都ナイロビにあった支局に勤務した。特派員一人だけの支局だ。当時はアパルトヘイト(人種隔離政策)が続いていた南アフリカが主要な取材対象だった。27年に及ぶ獄中生活から解放されたばかりの反アパルトヘイト運動の象徴、ネルソン・マンデラ氏との単独会見などそれなりに仕事をしたと考えてはいるが、アフリカへの思いをきちんと記した本を一冊もものにしていないことがずっと心残りだった。
今回の旅で最初に足を運んだのはナイジェリア。約1億5千万人が住むアフリカ一の大国だ。ナイジェリアを語らずしてアフリカを語れないと思っている。1960年に英国から独立しており、アフリカでは今年いち早く独立50年の記念すべき年を迎えた国の一つだ。今秋に予定されている祝賀のイベントをこの目で見たいという思いも今回の旅を後押しした。
アフリカ滞在は5か月ほどの予定。ナイジェリアを中心にケニアやルワンダなど他の国々にも足を運びたいと考えている。独身素浪人ののんびり、気ままなアフリカ一人旅となればいいのだが、さて果たして。(参考までに巻頭の写真はナイロビ支局時代の私のスナップ。ああ、髪ンバック!)
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