- 2010-10-02 (Sat) 10:14
- 総合
いや、前言を撤回しなければならないかもしれない。独立50周年を祝う熱気がラゴスでは全然見られないと記したが、一夜明けたナイジェリア最大の商都で1日、英国支配からの解放を祝賀する市民の活気あるパレードを目にしたからだ。緑と白と緑から成るこの国の国旗を顔に描いたり、緑色のかつらやTシャツを身につけた人たちのパレードだ。
カメラを向けると、普段はいやがることの多い人たちも「俺を、私を撮ってくれ」と決めのポーズをしてくれるサービスぶり。彼らの口からは「ハッピーバースデイ、ナイジャ」とか「アップ、ナイジャ!」という表現が飛び出した。このナイジャとはナイジェリアの略称で英語のスペリングは Naija となる。「アップ、ナイジャ!」は「頑張れ、ナイジェリア」という程度の意味となろうか。
もちろん、彼らがもろ手を挙げて独立50周年を祝っているわけではない。日々の暮らしに追われている人が大半だ。それはそれとして、自分たちの父母、祖父母が苦労の末に手にした自由と独立はきちんと祝おうとしている、その心意気が私にもよく分かった。昨夜はラゴスの市民がこれだけの熱気を見せるとはちょっと想像しにくかったのだ。
50年の記念日は英語ではgolden jubilee(ゴールデンジュビリー)と呼ばれるが、ナイジェリアのゴールデンジュビリーはほろ苦いものであることは新聞各紙の論調が物語っていた。代表的新聞のガーディアン紙は1日の社説で「ナイジェリアは漂流している国家である。正直、誠実、説明責任、節度、寛容、信心深さといった核を成す価値観は打ち捨てられてしまった」とこの半世紀の政治の貧困、責任を手厳しく批判した。
ラゴス市内をタクシーで走り回った後、ホテルに戻り、この項を書いていると、ホテルのオーナーが「わが友よ、アブジャに行かなくて命拾いしたぞ。首都で爆弾テロがあったようだ」と私の部屋に駆け込んできた。南部の産油地帯で反政府活動を展開している組織の犯行のようだ。地元のラジオ放送では警察幹部を含む市民8人が死亡したと報じている。
爆弾テロが許しがたい犯罪であることは言うまでもないが、この国が独立50周年のめでたいイベントをこのような犯罪に汚される土壌をはらんでいることに目をそらすわけにはいかない。国民の多くがナイジェリアはエリート階層が汚職にまみれており、大多数の国民が石油などの収入による国富の恩恵に預かっていないという不満を抱いている。
私は露天で売っていた50周年を祝ったふちのある帽子をかぶって歩いたが、帽子を目にした老若男女の人々が「おお、あなたも一緒に祝ってくれているのかい」といった顔付きで、うれしそうな笑顔を私に向けてくれた。こうした笑顔がいつまでも続くとは考えにくい。
(写真は上から、1日の新聞2紙の一面。トラックの上から笑顔を振りまくパレードの参加者。緑色のTシャツに縁が緑色のサングラスの若者。ちょっと見には不気味な若者。これもお祝いの晴れ姿だ)
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