- 2010-09-21 (Tue) 02:14
- 総合
東アフリカには多くのインド系の人々が住んでいる。インド洋をはさんでインドと東アフリカは昔から深い交流があり、14世紀ごろには帆船でモンスーンを利用し行き来していたようだ。19世紀末になると、東アフリカを支配していた英国がケニアウガンダ鉄道を建設するため、インドから大量の労働者を入れ、現在のインド系社会の礎を築いた。
タンザニアでインド系ビジネスマンの代表的存在の一人である長老に話を聞いた。アンディ・チャンデ氏。チャンデ氏は建国の父ニエレレ氏とも親しく付き合い、それでも国有化の荒波をかぶり、生き延びてきた。その生涯はタンザニアの歴史そのものとも言える。
1922年に父親がインド西部から当時はまだタンガニーカと呼ばれていたタンザニアに移住。28年に生まれたチャンデ氏は父親の後を継ぎ、この地方の主食であるとうもろこしを製粉するビジネスに従事し、成功を収める。独立を経てニエレレ政権時代の67年、国有化政策でそれまで築き上げたビジネスが足元から消え去る不幸に直面。しかし、チャンデ氏は政府の求めに応じて国有化された製粉事業の指揮を執り、その他、数々の国の事業の運営をまかされる。そうした事業から身を引いた今も各界の信頼を勝ち得ている。2003年には旧宗主国の英国のエリザベス女王から両国間関係及び世界での幅広い人道的活動の功績を認められ、栄えあるナイトの爵位を授与されている。
チャンデ氏は「ニエレレ氏はその経済的手腕を批判する向きもあるが、理念は間違っていなかった。この国を一つの国にまとめあげた手腕は評価し過ぎることはないと思う」と振り返った。タンザニアの将来については「今は正しい方向に向かっていると思う。ただ、国民の間にある貧富の差はほっておくと危機的状況にある」とも憂えた。
ケニアでもそうだが、インド系の人々と黒人の地元民との関係はしっくりしない場合が多い。人口の少ないインド系が経済を牛耳り、圧倒的多数派の黒人の多くが今なお貧困にあえいでいることに起因する。この点を質問するとさすがに歯切れが悪かった。しかし、チャンデ氏のタンザニアへの思いは深い。「先祖の地インドにも、子供たちや親類の多くが住む英国にも愛着はあるが、私はタンザニア人。私はここで最後の時を迎えたい」
チャンデ氏は82歳の今も会長を務めるボトル製造会社に毎日出勤する。目の不自由な子供たちのために自ら創立した学校を始め、医科大学の学長など、今も精力的に行動している。「体が心の思うままに動いてくれない」と言うが、会長室の壁には敬愛する父親の遺訓が大切に飾られていた。”Hard work is good for health. Why not improve yours?”(仕事が健康を作る。さあ、仕事しよう)
(写真は上から、サー・アンディ=爵位の人はミスター・チャンデとは呼ばない=。その目力はとても82歳とは思えない。ダルエスサラームのヒンズー教の寺院で年に一度のフェスティバルに遭遇。誰でも来訪者には食事を振る舞っていた)
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Comments:2
- か 2010-09-23 (Thu) 19:18
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健康とは仕事を続けて楽しむことですね!
携帯TEL盗難災難ですが命があって何よりです。
証拠になる写真を一枚でも撮ればヤバイト思い盗まないかも・・・秋場所開催中・・・春日国は今5連勝中です・・・優勝へ・・ 結果は後日連絡します - 那須 2010-09-23 (Thu) 21:38
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か様 ありがとうございます。春日国はわが宮崎県出身の郷土力士です。もう少しで十両に上がれる直前までいったのですが、今はもう少しかかりそうです。(十両に上がれば、晴れて関取と呼ばれる存在となり、お給料ももらえます)。横綱白鵬の付き人をしており、テレビで横綱のそばにいて、一見、西郷隆盛のような風貌をしているから、皆さんの記憶に残っているかもしれません。十両に上がれば、絶対、話題になると思っています。私も九州場所でインタビューして、英字新聞に書いたことがあります。好青年です。あと2番、目指せ優勝!!