- 2010-08-10 (Tue) 17:14
- 総合
ラゴスも朝夕は快適な日々だったが、ここナイロビはさらに快適だ。ただ、早朝は肌寒い感じすらする。ほぼ赤道直下とはいえ、ナイロビは標高1,700メートルの高地。ベッドわきの温湿計に目をやると、温度20度、湿度59%。出かける時は上着をはおる。日本からよくぞ、ジャンバーを持ってきた、トランクが重い思いをしたのは無駄ではなかったと自分に言い聞かせる。
地元の邦人に「ナイロビってこんなに寒かったですかね?」と尋ねると、「今が一番寒い時期ですから。もうすぐすると、春先のいい天候になりますよ」という返事が返ってきた。
とはいえ、日中は暖かい陽光が降りそそぎ、木陰に入ると、澄み切った空気が心地良い。日曜日の午後3時過ぎ、招かれた邦人の家の庭先で炭火で焼いたイカや肉を肴に焼酎やワイングラスを傾ける。猫が足元でじゃれつく。焼いた餅に海苔を巻いていただく。「至福」。かつて、ケニアに入植してコーヒーを栽培していたデンマーク人の作家、カレン・ブリクセンが著書”Out of Africa”(1937年、邦訳アフリカの日々)の冒頭で、ナイロビ郊外にあった彼女の農園での暮らしを記したくだりが脳裏をかすめる。「アフリカの高地では人は毎朝目覚めると思うのです。私はここにいる。私がまさにいるべきところにと」
週末は街中には出かけなかったので、月曜日、いわゆるシティセンターに足を運ぶ。20年の歳月があるから、当然のことながら、当時はなかった高層ビルや真新しい建物が目につく。行きかう車の量は変わらないように思えるが、タクシーの運転手は「自分がハンドルを握ったのは1987年から。当時と比べれば、車の量は少なくとも二倍に増えた」と語る。同じ英国領だったナイジェリアと異なるのは、ケニアでは日本と同じように、車が道路の左側を走っていること。日本人にとっては運転が楽だ。
ケニアが英国のくびきを離れ、独立したのは1963年12月。ナイジェリアより3年遅い独立だった。シティセンターの一角に「独立」を意味するウフルパークと呼ばれる公園がある。高層ビルをのぞんで眺めが良かったので、車から降り、写真を撮る。公園では家族連れやカップルが寝そべったり、談笑したりしているのが見えた。とても平和な光景だ。
それでも、日中は一人でも街中は歩いて大丈夫だが、夜間はやはり一人で歩くのはリスクがあり、車(タクシー)を利用した方が無難という。この点は昔も今も変わらない。
(写真は、ウフルパーク越しにナイロビの高層ビル群をのぞむ)
Comments:1
- めるすき 2010-08-15 (Sun) 19:26
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海外に滞在されていると日本食が
恋しくなられるでしょうね。久し振りの焼酎の味も格別!!
これぞ「至福の時」でしたね。
20年の時の流れも感じられて・・・
ケニア共和国の首都、ナイロビの事が
少しづつわかってきました。