- 2011-02-23 (Wed) 11:09
- 総合
今も会社員時代の夢をよく見る。就職したばかりのころは、大学の夢をよく見た。場面はいつも決まっていた。仕事をしていると、大学の教務課から職場に電話がかかってきて、私が出ると、「那須さんですね。あなたは卒業に必要な単位が不足していることが判明しました。週に一度、補講を受けてもらわなければなりません」と告げられるものだった。
私は夢の中で愕然として、頭の中で「会社にどう説明しようか。週に一度だったら、なんとかこなせないかな」と思い悩む。おおよそそんな感じの夢だった。地方部八王子支局から国際部に異動すると、今度は支局で持たされていたポケットベルが鳴り、支局に電話をかける夢だった。デスクから「おい、那須、今日の提稿予定は? 何?原稿の予定がない。おい、どうするんだ。明日の紙面はまだ空っぽだぞ」と嘆かれる夢だ。
どうも、私の場合は自分の直近の人生を追いかける形で夢を見るらしい。今は、退社した西部本社の職場が「舞台」となった夢で、さすがに、上司から「おい、原稿は?」というシーンはないが、時に懐かしい同僚諸氏が出てくる。
前置きが長くなった。長年の愛着があるので、日々コンビニで購入するのは読売新聞だ。昨日の文化欄に興味深い記事が出ていた。英国の日系作家、カズオ・イシグロ氏のインタビュー記事だ。著作「わたしを離さないで」(原題 “Never Let Me Go”)の映画化を前に来日したのだという。
イシグロ氏は私と同じ1954年、長崎生まれ。5歳の時に父親の仕事の関係で渡英、以来ずっと英国で暮らす作家だ。インタビューでは「女性の話す日本語は理解できる」と語っているが、普段の思考は英語なのだろう。それでも、「もののあはれ(哀れ)」の概念に言及したり、小津安二郎の映画を好んでいることなどが紹介されている。
私はイシグロ氏の作品は大半を読んでいる。翻訳ではなく、英語の作品だ。偉そうに言っているのではない。彼の作品はとても読みやすいのだ。同じ英国でもサマセット・モームの作品も分かりやすい英語だから、彼が日系だから分かりやすい英語を書いているとは思わないが、読みやすいことは我々英語の非ネイティブには本当にありがたい。
英語自体は分かりやすいが、書法というか、彼の一部の作品には独特の流れがあったりして、時に面食らうこともある。ロンドン支局時代に彼の作品の一つを読んでいた英国人助手はあまりの奇抜な流れに、途中で読み進めることを放棄してしまったほどだ。
“Never Let Me Go” も英語自体は分かりやすい作品だった。描かれたテーマは一言では表現できない不可思議、物悲しい世界だった。他人のための臓器提供者として短命を運命付けられた人生・・・。この本(翻訳)を読んで「人生観が変わった」と語る人に出会ったこともある。インタビューを読むと、しかし、作家がこの作品を「人生の応援歌」として書いたことが分かる。水前寺清子ではないが。
原作を読んで映画を観ると、がっかりすることは少なくない。この作品に関しては、イシグロ氏自身が制作現場に足を運んだという。作家が映画のプロモーションのために来日するほどだから、がっかりさせられることはないのだろう。上映は3月26日から。
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