- 2011-02-02 (Wed) 22:49
- 総合
中東情勢が大揺れに揺れている。チュニジアでは長期政権のベンアリ政権が倒され、エジプトでもムバラク政権が退場を余儀なくされつつある。
上記の両国は北アフリカに位置する。今はAUと呼ばれる「アフリカ連合」(African Union)という組織に属している。AUはその昔はOAU(アフリカ統一機構)(Organization of African Union)と呼ばれていた。
北アフリカの人々はアラブの民衆であり、イスラム教を信仰しており、南のいわゆる黒人の人々が住むアフリカとは趣が異なる。このため、南の国々はブラックアフリカとかサブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)と呼ばれ、北アフリカの国々と区別するのが一般的だ。
今回の政変劇を見ていて、つくづく考えさせられている。チュニジアやエジプトなどに匹敵する長期独裁政権はブラックアフリカでも少なくない。それでも、今回のような市民の抗議に端を発した政変はあまり記憶にない。いや、皆無かもしれない。昨年秋大統領選挙が行われたコートジボアールでは国際社会やAUが敗者と認定したにも関わらず前大統領のバグボ氏が「自分が勝った」と主張、政権の座から降りることを拒否し続けている。通常だったら、考えられない状況だが、なぜ、このようなことが可能なのか。それはバグボ氏が自らの出身部族の支持を得ているからだ。
ブラックアフリカは基本的に出身部族がものを言う社会である。例えば、ケニアならケニア人としてまとまる前に、出身部族のキクユ族、ルオ族、ルイヤ族、カンバ族などといった部族ごとのアイデンティティーがまかり通る。だから、汚職や不正で批判された政治家は無実を主張する一方、「これは我々○○族に対する攻撃である。我々は団結して抗議行動に打って出よう」と部族の危機感をあおる。
私は中東問題は専門外である。これまでの経験や主要メディアの報道で見る限り、中東諸国では部族的な確執は社会的緊張の要因ではないようだ。これが同じアフリカ大陸にありながら、ブラックアフリカとは大きく異なる様相のように思える。
私はアフリカには関西空港から行きも帰りもエジプト航空を利用したので、カイロ経由だった。帰りにはカイロで長時間のトランジットの間があったので、読売新聞のカイロ支局にも立ち寄り、かつての同僚と雑談する時間もあった。車の中からカイロの雑踏を眺め、ブラックアフリカとは異なる雰囲気を味わった。まさか、1か月もたたないうちに今回の政変が起きるとは夢にも思わなかった。
思えば、歴史の歯車が動くとき、傍観者には驚くしかないほどの迫力、スピードで動くようだ。ベルリンの壁崩壊の時もそうだった。南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)終焉の時もそうだった。平家物語ではないが、「諸行無常、盛者必衰」である。私はエジプト政変劇をアフリカ諸国と比較するのだが、「なぜ、北朝鮮では?」と思う人もいるのだろう。