- 2010-12-15 (Wed) 05:48
- 総合
ナイロビから空路、隣国スーダン南部の中心都市ジュバに入った。ここにはスーダンの首都ハルツームから飛んだことがある。1988年か89年ごろのことだ。恥ずかしい話だが、ジュバからどういう記事を書いて送ったのか覚えていない。当時はスーダン人民解放軍(SPLA)が激しい反政府武装闘争を展開していた。飛行機はSPLAの対空砲火を警戒し、きりもみ降下しながらジュバ空港に着陸した。
SPLAが南部住民の民族自決を求めて1983年に決起したのがいわゆるスーダン内戦だ。北部のイスラム教徒であるアラブ住民に支配され続けてきた南部の非イスラム教徒(一部はキリスト教徒)の黒人の人々が北部に反旗を翻した戦いだ。ひところはアフリカ最長の内戦とよく表現された。この内戦は紆余曲折を経て、2004年に和平が実現、南部に自治政府を置くこと、さらには南部の独立の是非を南部住民にゆだねることなどをうたった包括和平協定(CPA)が調印された。
その注目の住民投票が年明けの1月9日に実施されるのを前にジュバを訪れた次第だ。ナイロビ空港を飛び立った飛行機が地上の光景が終始目にできる低空飛行を続けること約1時間30分、ジュバ空港に着陸した。途中の風景は土漠とでも呼びたくなるような乾いた大地の連続だった。空港近くになって初めて民家が見えた。アフリカの中心都市なら当たり前の高層ビルの類は目にしなかったような気がする。
ジュバへの入国ビザそのものはナイロビにある南部スーダン政府の連絡事務所で取得した。事務所にはSPLAをかつて率いた指導者の故ジョン・ガラン氏の肖像が飾られ、来る住民投票の大切さを「あなたは自分自身の国の中で十分な権利を有していない市民として扱われても構わない方に投票したいと思っているのですか」と語った氏の遺訓が紹介されている。
さて、ジュバを再訪して最初の印象は町が随分大きくなったというものだ。20年以上も前にはホテルを探すのに一苦労した。外国人が泊まれるようなホテルはただ一軒「ジュバホテル」というのがあった。コテッジ風のわびしい宿で、部屋の水道の蛇口をひねると茶色い水が出てシャワーを浴びることなど考えもしなかった。ホテルのオーナーは毎朝、夜にはおいしいスープを出すと言いながら、最後までそのスープは出てこなかった。
昔話はともかく、ジュバの電話帳のような本をめくると、今は優に30を超えるホテルがあるようだ。若者がタクシーとして走らせているバイクに同乗して町をざっと見学した。町の人々の顔に結構笑顔が見える。私は初めての町では通りや商店の軒先などにたたずむ人の「笑顔の量」でその町(国)の「幸福度」「治安の良さ」などがある程度分かるのではないかと考えている。あくまで個人的な「物差し」だ。
人々の笑顔が刻一刻と近づいてきた住民投票ゆえのものなのか。あるいは住民投票を超えた先行きに対する期待感を反映したものなのか。
(写真は、交差点にあった住民投票までのカウントダウンを告知した塔。日数なら25日、時間なら622時間、分で計算すれば3736分と告知されていた)