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メードとの再会

  • 2010-12-13 (Mon) 02:54
  • 総合

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 再びナイロビ。ベースキャンプのようなものだ。住めば都とはよく言ったもので、昔も今もここに戻って来ると、心が落ち着く。
 ナイロビ特派員時代に住んでいた家に住み込みで働いていたメードとふとしたことで再会することになった。セーラ。20年の歳月が経過しているから、今では40歳代のおばちゃんになっているはずだ。電話をした。受話口から元気のいい声が返ってきた。「ミスター・ナス。懐かしいわ。本当に久しぶり!」といったような感じの言葉が響いてきた。
 「セーラ。元気そうで何より。お茶でも飲もう」と誘って、後日、近くのカフェで待ち合わせた。少し太ったけど、ほとんど変わりのない風貌で、彼女はやってきた。
 「暮らしはどう? 子供たちはどうしている?」
 「まあ、何とかやっています。子供は二人。上の男の子を肺炎で8年前に失った。下の男の子が22歳になるけど、経理の勉強をしていて、この子に希望を託している」と今もメードの仕事をしているセーラは饒舌に話した。雇い主とメードの関係だった昔はこんなに気さくに話すことはなかった。
 日本人に限らないが、アフリカで暮らす外国人は自宅でメードや警備員、庭師といった仕事に地元の人を「薄給」で雇っているケースがほとんどだ。私も当時、セーラのほか数人を日本のレベルから見れば「申し訳ない」お給料で働いてもらっていて、当初は複雑な思いをしないわけではなかった。それが地元の人々の雇用につながっているのではあるが。
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 「セーラ、私は当時、あなたにいくら払っていたのだろうか。覚えているかい?」
 「1500シルから2000シルの間かしら。でも、当時はいいお給料だったわ。だって10シリングあれば、(住み込みの)家から町までバスで出て、チップス(ポテト)を食べて、それでまたバスで帰ってこれてたもの。今はそういう風にはとてもいかない」
 こう言われて、正直、少しほっとした気分にはなったが、それでも、彼女たちが今も苦しい生活を余儀なくされていることに変わりはない。ケニアの通貨、シリング(シル)は私がいた当時は1シル=10円の価値があった。今は、ほとんど、1シル=1円に近い感じだ。地元紙が当時、一部3シルだったのが、今は40シル。物価はざっと10倍以上になっている。セーラのような一般大衆の稼ぎはそれに見合って上がっていない。
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 私の旅も残り少なくなったので、日本から持参した品々で不用になったものを彼女に上げようという考えがあった。別れ際にそうした不用品に加え、ささやかな額のお金を手渡した。「サンキュー、ミスター・ナス。クリスマスに田舎に住んでいる母にお土産を買って帰れるわ」と彼女はとても喜んでくれた。私にはこんなことをしている「余裕」など本当はないのだが・・・。
 (写真は上から、再会を喜んでくれたセーラ。12月12日はケニアの独立記念日。お祝いの式典が催された会場でこの写真を撮った直後に、警備担当者に外に出るよう求められた。招待客でないので仕方ない。会場の外でお祝いの記念撮影をする人々)

Comments:2

砂月 2010-12-13 (Mon) 10:21

那須さん(*^o^*)

お元気そうで何よりです。
いつも情景を想像し笑いあり、考えさせられながら拝見しています。
このブログをチェックするようになって半年位ですね。

こちらは街も人もクリスマス一色になってきました。

セーラさんとセーラさんのお母様も那須サンタのプレゼントで幸せなクリスマスを迎えるのでしょうね(^O^)♪
那須サンタはくれぐれもお身体には気をつけて!
また覗きにくるけんね!

那須 2010-12-13 (Mon) 21:56

さつきちゃん ありがとう。ブログをのぞいてくれていて感謝します。モカジャバ関係ではあなたぐらいだろうな。そういえば、ナイロビにはJavaという名のカフェがあって、時々立ち寄っています。そのたびにモカジャバのことを思い出しています。
 一応、あと一か所、スーダンの南部にあるジュバという都市を訪れることにしています。来年早々に南部スーダンは独立か否かの住民投票が行われることになっており、日本でも年が明ければ少しはニュースで報じられるかと思います。この都市も20年ぶりの再訪です。

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