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ドア・オブ・ノーリターン

  • 2010-10-17 (Sun) 07:27
  • 総合

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 ダカールに来て、ここを訪問しなかったら、セネガルを訪れた意味はないかもしれない。
 ゴレ島。多くの黒人奴隷が南北アメリカに送られた最終出発点の島だ。ダカールはアフリカ大陸の最西端、大西洋に面しており、ゴレ島はダカールの沖に浮かぶ小さい島だ。フェリーで15分程度の距離にある。
 土曜日、ゴレ島に渡った。フェリーの船中でムスタファという50歳代の現地ガイドが隣に座り、私より流暢な英語で案内は俺にまかせろと言う。最初は迷ったが、島について見ると、英語の表示は皆無。島の歴史的意義を多少でも理解するには彼に頼るしかない。公式のガイド料8,000CFAフランを何とか5,000CFAフラン(約千円)にまけてもらい、見学開始。
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 「この島にヨーロッパ人、最初のポルトガル人がやって来たのは1444年だ。その後、オランダ人、イギリス人がやって来て、最終的にフランス人が支配権を握った」とムスタファの説明を聞きながら、南北900㍍、東西300㍍の小さい島を歩く。奴隷が集められた家屋では、フランス語のガイドの周りに欧州から来たと思われる白人観光客やフランス語圏のアフリカの国々の人たちが群がって説明を聞いている。
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 「ここに連れて来られた奴隷は男女に分けられ、体重を測定されたんだ。基準の60キロを超えていれば、この部屋。達していなければ、向こうの部屋に入れられ、二三か月食べ物を与えられ、太らされた。あそこにある小部屋は言うことを聞かない奴隷を罰した場所だ。そして、奴隷船がやってくれば、あの戸口、ドア・オブ・ノーリターンを通って積み込まれた。片道切符だよ」とムスタファは淡々と語る。
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 ここから新大陸に運ばれた黒人奴隷の数は諸説あるが、ムスタファは少なくとも二千五百万人以上と言った。劣悪な環境のため、航海の途上で多くが死亡したと見られている。悲惨な歴史を秘めた島であることは間違いないが、白人、黒人の観光客がのんびり歩く姿を見ていると、今はこの国、特にこの島に住む約1200人の住民の大切な観光資源になっている印象の方が強い。
 ナイジェリアのバダグリでも同様の奴隷貿易の資料館を見学したが、こちらの方が歴史的な意義はあるようだ。1978年にはユネスコの世界遺産に指定されてもいる。
 「日本の人にゴレ島のことを宣伝してくれよ。この俺のことも忘れずに。俺は日本語も少しはしゃべれる。コンニチハ。イタダキマス。どうだい?」とムスタファはスパゲッティをビールで流し込みながら言う。もちろん私の払いだ。私のそばではさきほどからしつこく土産物を買えと勧めるおばさんがまだ立っている。「悪いけど、これからまだ南アとか旅しないといけない。お金がいる。だから、ここで土産物を買う余裕がない」。どこまで伝わったか分からないが、彼女は「そうなの」といった表情であっさり立ち去った。こうあっさり分かってくれると、なんだかすまない気がする。少し切ない気分で島を後にした。
 (写真は上から、フェリーから見えたゴレ島。奴隷が収容された家屋でガイドの説明を聞く観光客。「ドア・オブ・ノーリターン」。そこから見えた大西洋)

Comments:2

穴井郁夫 2010-10-19 (Tue) 01:57

那須さん

 元気に旅を続け、アフリカ最先端のゴレ島に行かれたとのこと、無事で何よりです。
 そこを訪れる観光客の多くは白人のようですね。アフリカの人たちはいつ頃から白人による「観光」上陸を許容するようになったんでしょうかね。
 いまだに「反日」感情を剥き出しにしがちな我が隣人たちとそれに正面から向き合えない我が同胞たちが歴史の呪縛から解放されるのには、奴隷廃止から現代までと同じ2世紀ほどの時間が必要なのだろうなと弱気になっています。
 個人的には、恥ずかしながら、今でも、アフリカ人は奴隷にされたのか、それも3世紀にわたって・・・という理由が全く理解できないでいます。いつか教えてください。
 さらにもっと個人的には、那須さんの移動距離にははるかに及びませんが、小生、未だに、時間があれば、家を起点にして、その日に歩けるだけ歩くことにしています。16日は自己記録となる57000歩、39キロを達成しました! 市川市から千葉県北島の端にある利根川土手に辿りつきました。市町村合併で道中はどこも「市」でしたが、利根川に近いほうの「市」では集落崩壊の現実、兆しを見ました。とても世界2位の経済大国の風景とは思えませんでした。車は走っていますが、歩行者がほとんど見当たらない通りがずっと続くばかりでした。田舎を捨てた自分が偉そうなことを言える立場にはないのはわかっていますが・・・、
 山栗を拾い、自生するアケビの甘い実も何十年ぶりかに味わうことができたのは、すなおにうれしかったです。
 引き続き健康に気をつけてアフリカ紀行を続けてください。
穴井

那須 2010-10-19 (Tue) 05:56

穴井さん ありがとうございます。アフリカ人が奴隷にされたのはずいぶん昔からで欧州の列強の毒牙にかかる前からアラブの王国に征服されては奴隷にされていました。新大陸に奴隷として大量に送り込まれたのは、綿花やタバコ、サトウキビ農園などで働く労働者が必要だったからで、当初、使われていたアメリカインディアンが天然痘でほぼ「絶滅」、そうした病気にアフリカ人が強かったという経緯もあるようです。1日で39キロ踏破はすごいですね。アケビ。子供のころの私の好物でした。今では私の田舎の山中でもなかなかお目にかかることは難しい山の幸です。千葉県も広しですね。

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