- 2010-10-04 (Mon) 19:45
- 総合
「ナイジェリアに生まれて良かったと思うかって。タフな質問だわ」と一呼吸置いた後、彼女は笑いながら語った。「もう一度、生まれ変わっても、ナイジェリア人として生まれたい。ただ、国が今のような状況でないことを条件に」
ラゴスに住む25歳の大学生、ベケレボ・キャサリン・モズィモさん。両親は南部のバイエルサ州出身。この国ではナイジャデルタと呼ばれる地方で、ナイジェリアの外貨のほとんどの稼ぎ頭である原油の産出地帯でもある。しかし、発展からは遠く取り残され、本来の漁業は原油汚染で壊滅的打撃を受け、貧困が覆う。独立50周年の日に首都アブジャで起きた爆弾テロを行った武装グループの本拠地だ。
「彼らがああいう犯行に出るのは怒りからよ。私はもちろん、是認することはしないが、なぜ彼らがああいう犯行に走ったのか問題の所在を考えないといけない」と彼女は語る。
「私たち若い世代は他の国々、特に欧米やアジアの同世代と比べて格段に厳しい生活を強いられている。夜はしょっちゅう停電で真っ暗。教科書を読んで勉強したくとも明かりがない。そういう中で勉強してきて、卒業したら、仕事がない。どうやって食っていけと言うの」
彼女の父親は4人の妻がいて、兄弟姉妹は「30人以上」。自分の人生は自分で活路を見出すしかなかった。「私はボーイフレンドがいて、間違った方向に行ってしまった。気がついたら妊娠していて双子を出産。一時はどうしたらいいか途方にくれた。自分を許すのに3年かかった」という。そういう時に、自分たちで自立し、また人を助ける活動を知った。
彼女が加わったのは、ナイジャデルタ・ピクチャーズと呼ばれるNGO組織で、4年前にバイエルサ州の高校教師が立ち上げた。政府や行政の支援は一切受けていない。いや、正確には受けたくても支援の手がこないのだ。ラゴス市内で1日に主催した独立50周年を祝うイベントもメンバーが企業や篤志家から寄付金を募り、何とか実現にこぎつけた。
「子供たちと話していたら、独立50周年といっても彼らが何の感慨もないことが分かった。だから子供たちに独立の喜びを祝わせたかった」。イベントには彼女たちの予測の3倍もの約5千人の人々が集まり、子供たちの歌や踊り、寸劇を楽しんだ。
今はアルバイトをしながら通信制大学で英語を専攻しているベケレボさんは「私たちナイジェリア人の評判が海外で芳しくないのは知っているけど、でも、私たちが日々どういう暮らしをしているか分かれば、考え方は変わると思う。この国で誰でも一週間暮らしてみれば、私たちの良さ、苦しくとも笑って未来に向かう強さを理解してもらえると思う」と信じている。確かにこの国は色々問題はあるけれども、私は彼女に賛同せざるを得ない。
(写真は上が、イベントの世話役で忙しく動き回っていたベケレボさん。下が、イベントで踊りの出番を待つ子供たち)