- 2010-08-31 (Tue) 15:49
- 総合
ルワンダで94年4-7月の三か月間に起きた悲劇は、当時のフツ政権が軍やミリシア(militia)と呼ばれる非正規の武装勢力を総動員して、ツチをルワンダの地図から抹殺しようとしたことだ。虐殺に加担しない穏健派のフツも裏切り者として粛清された。その数、百万人以上。周辺国に難を逃れた難民二百万人。当時七百万人の国の話だ。ルワンダ人で自身や家族、親類が加害者なり被害者にならなかったケースは皆無に近いと思われる。
ジェノサイドは結局、ウガンダから進攻してきたツチ族のルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を掌握して終止符が打たれた。現在のカガメ大統領はRPFを率いた指導者だ。
ルワンダはかつてフツ、ツチの人々がお互いの違いを意識することなく、相互に結婚してきた社会でもある。ジェノサイドはそうした親類、友人、隣人が牙をむいた。植民地時代の施策で少数派(15%)のツチに牛耳られた恨みがあったとはいえ、政権を手にした多数派(84%)のフツがなぜこのような虐殺に出たのか理解に苦しむ。そして国連を始め国際社会がこのジェノサイドに対し、信じられないほど無能無力だったこともセンターに来て改めて再認識した。ロンドン支局にいて無力だった自分自身のことも含めて。
キガリメモリアルセンターでは当時の殺戮直後の生々しい写真が掲げられている。最後の望みを託し、逃げ込んだ教会で、手榴弾を投げ込まれたり、火を放たれて死んだ無数の犠牲者の無残な姿も。奇跡的に生き残った人々のインタビュー映像では、生き地獄が語られる一方、妻子を失った男性が「家族を殺した人たちを許す。報復しようとは思わない。報復したら私も殺人者に落ちてしまう」と語っていた。
為政者の目的がツチ族の人々をルワンダから一掃することにあったのだから、ツチの赤ん坊や子供たちも残忍に葬られた。そうした子供たちのあどけない笑顔の写真がこちらを見つめてくる。名前、年齢、好物、殺害された方法などを記されて。
ジェノサイドから16年。キガリは今、ビルや道路など建設ラッシュで、道行く人からは笑顔がこぼれる。高校生以下の世代はともかく、大多数の人々はジェノサイドが今なお心のどこかに影を落としているはず。安易に傷口に触れるのははばかられる思いだ。
(写真は上が、センターの外に立つ、ジェノサイドで犠牲になった人々の名前を壁に刻んだ墓碑。見て分かる通り、名前が刻まれたのはまだごく一部に過ぎない。下が、センターで紹介されている犠牲者の幼児たち。パンフレットから撮影)
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Comments:3
- 関野 2010-09-01 (Wed) 01:42
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やっぱり、那須さんには、アフリカが似合います!!
東アフリカ&ナイロビで、ここ書けない(笑)昔の彼女に会いましたか? - あつ子@カナダ 2010-09-01 (Wed) 14:35
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自分の身を守ることのできない子供達の悲劇は大人が守ってあげることしかできません。でも、その大人達の犠牲になっている子供達・・・私達に何ができるのでしょうか。その問いに答えるように、この度、トロントで「地球のステージ」というコンサートがあります。それは、貧困に苦しむ国々、紛争で苦しむ人々・・・それでも、ひたむきに生きる子供達の目の輝きを映像で映しながら、医療ボランティアとして働く精神科医桑山紀彦医師がギター、バイオリンを弾きながらオリジナル曲を歌い、語りかけます。この公演は9月24日に行われますが、チケット販売などに協力しています。草の根の平和運動に些細な力でも携わっていけることに、トロントに住んでいて良かったと思っています。
- めるすき 2010-09-02 (Thu) 13:06
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何回も繰り返し拝読いたしました。衝撃を受けました。
内戦で、しかも16年前、切っ掛けはともあれ
人間がこれほどのむごいことをできるものなのか
理解に苦しみます。
大人たちの愚かなエゴによって奪われた小さな命
写真に写る愛くるしい顔に胸がしめつけられ
涙が止まりませんでした。
”平和な国になって欲しい”口でいうのは簡単です。
現在に至るまで、どれほどのエネルギーを要したことでしょう。祈ることしかできない自分がはがゆいです。