- 2010-08-19 (Thu) 17:51
- 総合
前回の項で、「ルオ族」という表現を使った。「ルオ人」と言い方もありうる。「ルオ系ケニア人」という表現はスマートに見えるが、これはこれで字数を要する。
自分が勤務してきた読売新聞社では、アフリカの国々を構成する数多くのトライブ(tribe部族)、エスニシティー(ethnicity民族)を「族」と表現している。朝日新聞社ではいつからか知らないが、今は「人」を充てている。「ルオ族」ではなく「ルオ人」となる。「人」と表記すると「族」より一段上にある印象を与える。
朝日の表現をとれば、ケニアは主要42の「民族」から成る国であり、具体的にはキクユ人、ルイヤ人、ルオ人、カンバ人、マサイ人などから構成されるとなる。読売では主要42の「部族」で構成され、キクユ族、ルイヤ族、ルオ族・・・。従って、一つの国内の抗争、衝突は「民族対立」とか「部族抗争」などと表現が異なることになる。
今回の漫遊ではこの点についても考えたいと思っている。ナイジェリアに至っては250を超える部族がひしめいていて、これを全部、民族として扱うことが妥当かという問題もある。
アフリカの地図を見れば一目瞭然のように、その国境が(19世紀末)定規でもあてたかのように引かれていることが分かる。引いたのはアフリカの人々ではなく、ヨーロッパの列強だ。東アフリカは英国が主導権を握り、西アフリカはフランス(一部英国)、中部アフリカはベルギー、南部アフリカはポルトガルや英国などが命運を握った。その結果、一つの部族、民族が複数の国境にまたがったり、本来なら、当然別の国家として誕生すべき人々が一つの国家として強引にまとめられ、現在に至るまで悲劇を生んでいる。
ナイジェリアで言えば、北部のハウサ・フラニ族のコミュニティーと南部のヨルバ、イボ族のそれは宗教、文化的にも大きく異なり、彼らはそもそも二つの国家に分かれて発足すべきだったという意見は常識のようになっている。「英国がやったことはとても罪深い」とはき捨てるように語る人に何度会ったことか。
多くの国々で部族、民族の違いを克服し、国家としてのまとまりを育む大切さが叫ばれ、その方向に向けた動きも活発化している一方、異なる部族、民族を激しく非難することで「延命」を図ろうとする政治家も今なおいる。多くの国々が欧州のくびきを離れ、独立50周年を迎えている今年、どちらの動きがより大きなうねりとなるのか。
(写真は、ナイロビ大学のキャンパスでくつろぐ男子学生。日本に留学するにはどうしたらいいなどと尋ねていた)
Comments:1
- めるすき 2010-08-19 (Thu) 20:34
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部族、民族、人、の表現の違いも良くわかりました。
今年10月開催される独立50周年祝賀式典の折
ナイジェリアに再訪されての情報を待ちたいと思います。
ご自愛くださいね。 ポレポレですよ~~
ありがとうございます。知識が膨らみます。