- 2011-05-13 (Fri) 13:00
- 総合
前回の項を書いてから一か月以上が経過した。ブログを更新する気がないわけではなかったが、本来がとても怠惰な性格、そのうちにと思っていたら、こんなに間があいてしまった。まあ、仕事ではないし、義理があるわけでもないので、致し方ない。
ただ、曲がりなりにも文章を書いて食ってきた身。読む方は毎日「鍛錬」しているとしても、やはり、書く方も「鍛錬」していないと錆びつくのではという危惧を抱いているから、できれば、そう日を置かずして書いていきたいと思っている。
書きたいことがなかったわけではない。日々生きていれば、それなりに心に浮かぶことはある。今はこのブログは「身辺雑記」を綴る欄としているから、日々の思いを書く格好のスペースだ(ったはずなのに)。
私は今、新幹線の車中にある。博多駅を午前10時に出て、新大阪経由で富山・魚津に向かっている。魚津に住む長年の知人宅が目指すところだ。知人と言っても、私にとっては大恩ある人だ。長く東京・千駄木でスナックを営んでいたMママ。私が新聞社に就職して東京本社に勤務していた20年余、独り身の私には「母」や「姉」のような存在だった。本社勤務となるたびに、このスナックの周辺にあるアパート・マンションに住んでいた。
毎年冬になると風邪をひいて寝込む私には本当にありがたい人だった。「ママ、また風邪ひいたみたいだ」と電話を一本入れるだけで、「あいよ。分かったわ。寝てなさい。今、持っていってあげるから」と応じてくれた。そして、ほどなく、市販の風邪薬にお握りとお惣菜、それとなぜか黒砂糖を袋に入れてアパートまで届けてくれた。悪寒と発熱で朦朧とした私がどれだけ感謝したか分かっていただけると思う。東京勤務時代には毎年繰り返された「年中行事」のようなものだった。
大阪や福岡勤務になると、出張で上京するたびに、スナックの上にあるMママの住居の一室に泊まらせてもらった。Mママ同様、可愛がってもらった旦那さんの位牌に手を合わせ、いつも泥酔したまま就寝させてもらった。
そのMママが何年になるのだろうか、40年近くなるのだろうか、長年営んできたスナックを友人にバトンタッチしてもらい、昨年、実家のある魚津に「引退」したのだ。私は来月、今度はアメリカを「さるく」ことにしているが、Mママからその前に一度魚津にいらっしゃいと誘われていた。大恩ある人からのお誘いだ。千駄木時代の親しい飲み仲間にも声をかけ、この週末お邪魔することにした次第だ。
魚津を訪れるのは、Mママの旦那さんの葬儀以来。あれは何年前になるだろう。最近はこうしたことを思い出すのに難儀する。ついこの間のことでもだいぶ昔のことだったりして驚かされる。どちらにしろ、駆け足での葬儀参列だったから、何を食したのかなど記憶にない。
魚津はきっと酒の肴が素晴らしいだろうな。Mママと会うのも久しぶりだ。今夜も明日の晩も私はまた泥酔するのかしら。ああ、怖い。ううん、全然!