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バタワース先生

  • 2011-03-08 (Tue) 10:41
  • 総合

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 前回、学生時代の夢の話を書いた。その懐かしい母校、宮崎大学に久しぶりに先週末、足を運んだ。宮崎大学で長く教えていた米国人の先生が大学を再訪されていたからだ。
 ガイ・バタワース先生。英会話の講義を何年か受けたが、講義の内容は残念ながら、あまり覚えていない。よく覚えているのは、講義とは関係なく先生と交わした雑談の類だ。
 私が米国留学(1年間)から帰国した4年生の時に、先生はすでに赴任されていた。先生の研究室に行って、私は講義の受講希望を伝えた。その際、会話の流れから、 “I want to study English conversation.” と言ったのだろう。先生は苦笑しながら、そういう表現は奇異な感じがする、英語では ”I want to learn English conversation.” と表現した方がベターだと指摘された。なるほど。
 忘れがたい一言もある。(留年を重ねた)7年生のころ、就職先を思案しているころ、彼の言葉が新聞記者になる道を選択させた。私が新聞社の入社試験を受けるべきか逡巡していると、彼は「ミスター・ナス、落ちるのが恥ずかしいからチャレンジしないのでは?」といった趣旨のことを言われた。「いや、全然そうではない。そんなに僕の度量は小さくありませんよ」と反論、結局、その一言で読売新聞東京本社の入社試験を受けに、上京、現在に至っている。
 そんなことはまあ、どうでもいいのだが、バタワース先生は2001年に帰国された。私は先生が宮崎大を離れる直前にお別れを言っているので、先生との再会は丁度10年ぶりだったのだろう。思った以上に若々しい先生の顔を見て、うれしく思った。先生の人徳もあって、教育文化学部の会場は英語科の卒業生を中心に多くの人が来ていた。私は英語科でともに学んだ同期の仲間とは卒業以来、一度も会っていない。彼らはほぼ22歳で卒業しているから35年も会っていないことになる。何人かとは会えるのでは楽しみにしていたが、さすがに彼らの姿は見えなかった。それでも、もう宮崎大学は退官されている英語科の先生たちと立ち話とはいえ、久しぶりに語らうことができて、とてもうれしかった。
 「あのお、O先生、お久しぶりです。いや、実は2年生の時に受けた米文学の講義、私はまともなレポートを提出しておらず、単位が取れたのは、先生のお情けだったとずっと感謝しているのですが・・・」「いや、そんなことはないよ。君は少なくとも講義には出席していたからね」「ありがとうございます。先生、実はアフリカをさるく旅から帰ったばかりなのですが、今度はアメリカを歩くことを考えていて、米文学作品の舞台となった土地も訪ねたいと思っています」「ほう、それは面白い。私は今、あの作家の良さを見直しているところなんだ。君は読んだことがありますか。あの作家の良さはだね、・・・」
 上記のような会話を交わせたことをとても幸せに思った。学生時代にはO先生とこのような会話をできるとはとても想像できなかった。
 (写真は、英語科の卒業生と語らうバタワース先生。昔より若々しく見えた)

Comments:3

mutsuo 2011-03-10 (Thu) 10:02

久しぶりに訪なうてみた。すんません。

イシグロさんの記事で夢の話が書いちゃるが、俺も学生時代の夢をときどき見っど。

そらな、大学の掲示板に突然、「今期から進級試験を課す。学問に精を出していない者は落第させる。退学させることも辞さない」みたいなことが書いてあっとじゃわ。

 おら魂消てしもて(学問も勉強もせんで、世の中のためんならん余残なこつばっかししよったもんじゃかいよ)、いんにゃ俺は間違いなく落第、いんにゃまず退学じゃろなて顔が青ざむっとよ。

 して、こら、よそん大学を受験しなおさにゃならんけんどん、今かい受験勉強しなおして間に合うじゃろかいじゃらなんじゃら、いろいろと迷うたりする夢よ。

 それともうひとつ類似の夢じゃけどな、大学でまっこて学問をせんかったかい(余残なことは勉強したど、ちったな)見る夢じゃろけんどん、「ちゃんと学問して卒業せんかった者は、もういっかい入学し直して学問せよ」ちゅうようなことになったとよ。なんでかしらんけんどん、そんげなって俺はそん対象者なっちゃわ。

 ま、仕方ない、自業自得じゃ思うて、今度こすはびしっと学問して決めてやっどて意気込んで4月かい大学に通い始めったっちゃが。ところがまたよ余残なこつばっかしに走って、授業にまったく出らんかったっちゃが、で、夢は不思議なもんで夢ん中でもう一年が経ったとよ、俺は、しもうた、授業に出ちょらんかい、また落第、いんにゃ退学じゃなあて、ものすげえ後悔する夢よ。

もうこんげな夢はこりごりじゃと思うとじゃけど、天災といっしょで、忘れた頃になんべんも見っど。

それんしてん、那須君は覚えてくれちょらる恩師が何人もおりゃって幸せじゃねや。おら大学では三人の先生しかおらん。

まっこて不肖の大学生活じゃった。もし俺ん学問じゃら教養がなんぼかついちょるとすれば、そん三人の先生の薫陶と卒業してかいずいぶん経ってかいの反省してやり始めてかいのことじゃ。

“I want to study English conversation.” と
”I want to learn English conversation.” の違いが分からん。

studyが昔英語の硬い表現ちゅうことね?

那須 2011-03-10 (Thu) 12:53

睦ちゃん あんたも同類じゃな。俺一人じゃなくてほっとしたわ。でも、俺はさすがにもう、ブログに書いたような夢はみらんばい。見たいような気さえするわ。
 ところで、お尋ねの件。あ、いかん、この返事、出先(九州大学のとある会議に出席中、昼休み)で書こうとしているっちゃけど、だいぶ年季の入ったパソコンじゃかい、バッテリーがすぐなくなるっちゃが。この続きはまた後できちんと書くわな。

nasu 2011-03-10 (Thu) 22:12

睦ちゃん studyとlearnはともに日本語だと「学習する」という意味で、酷似しているけど、実際には若干違ったニュアンスがあるごたるばい。簡潔に言うと、learnは「習得する」、 studyは「研究(勉強)する」ちゅう感じかな。English conversationは「勉強する」というよりも「習得する」類のものじゃわな。単に I want to study English.と俺があん時言うたら、問題はなかったと思うばい。(言語としての)「英語」や「英文学」なら、I want to study English.でいいもんな。俺があん時意味した単に「英会話」程度なら、studyで表現すると奇異な感じがする、ちゅうことじゃろ。

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