- 2011-01-02 (Sun) 09:08
- 総合
また新しい年がやってきた。また一つ年齢を重ねることになる。もうじたばたする年でもないから矢でも鉄砲でも持って来いの心境だ。亀の甲より年の功とも言うではないか。
アフリカではクリスマスがメーンであるので、正月はあくまで新たな1年の始まりというだけで日本のような厳粛さはないようだ。ケニアではオフィスも2日からは動き出すのが普通だ。今年は2日が日曜に当たるので、3日の月曜から仕事開始となるようだが。
元旦は以前にこのブログでも紹介したナイロビに住んでいるソマリア人青年のアリさん(25)と会う約束にしていた。アフリカを立つ前にもう一度きちんと話を聞きたいと思っていたからだ。ホテルで待ち合わせて、マタツと呼ばれる乗り合いバスに乗り、ナイロビ在住のソマリア人が数多く住むイースリーに向かう。中心部からバスで10分余の近い距離にある町だ。ミニ・モガディシオと呼ばれるほどソマリア人一色に染まった町だ。
私はイースリーの知識は皆無に近い。以前に足を運んだことがあるのかも記憶にない。そのイースリーを訪れて見て複雑な思いをさせられた。町自体は多くの人々が行き交いとても活気があったのだが、都市としての基盤があまりに未整備だったからだ。今や西暦2011年である。町の中心を走る大通り自体がまだ未舗装で、雨が降ったわけではないのに、ひどくぬかるんでいて、通りを横切るのもはばかられた。通り沿いに捨てられたままのごみの量も半端ではなかった。ソマリア難民のコミュニティーゆえに、ナイロビの市当局もほったらかしにしているのではないかと思えさえした。
アリさんによると、イースリーには1990年にソマリア政府が崩壊して、ソマリアが無政府状態になってから、ソマリア人が難民として流れ込んで来たという。「我々はここに来た時、無一文だったのですが、一生懸命に働き、今の町を作り上げました。今、ここに林立するビルはすべてソマリア人が所有する建物です。ホテルもあります。建設中のビルも見えるでしょ」
「イースリーの商店には何でもあります。価格もナイロビ中心部の店の半値です。だから、ケニアの人たちもここに来て買い物をしています。それだけでなくイースリーでは多くのケニア人が働いています」
ヘジャブをかぶったソマリア人女性の集団がゴールドのネックレスやアクセサリーを売っている店もあった。純金だという。値段を尋ねると、重さをデジタル機器で量って計算する。ネックレスは重さ7.4グラムで約2万6千円。ヘジャブ姿の女性たちがきらびやかな商品を前に座している光景を写真に撮ろうとしたが、さすがに断られた。
アリさんはマタツ料金からレストランの食事代まで出そうとした。レストランの食事代だけは何とか払わせてもらったが、お国柄だろうか、日本ではすっかり珍しくなった律儀な青年だった。”Let’s keep in touch.”(連絡を取り合いましょう)と堅く約束して別れた。
(写真は上から、イースリーの町。元旦も閉店している店はなく賑わっていた。大通りでさえこの状態。ソマリア女性は美人が多い。店番をしていた18歳のアヤンさん)
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