- 2010-12-25 (Sat) 03:44
- 総合
クリスマス・イブの日中、ナイロビ近くの町に住むキクユ族の友人、ジョージの家を訪ねた。8月に「友との再会」で記した人物だ。別れの挨拶を兼ね、足を運んだ。
スーパーでチョコレートやお菓子を大量に買い込んだ。何人もいる子供たちのためだ。デジカメに収まっているこれまでに撮影した写真をその子供たちに見せた後、ジョージとしばらく、ケニアの政治について話し合った。彼はケニアの政治に部族の確執が影響していることを憂えていた。曲がったことが嫌いな一本気な男。現在の仕事、牧師に向いていると言えば、言えなくもない。
お腹一杯ランチをいただいたのと、気持ちのいい微風がほほをなでるので、行儀悪いが失礼してソファーに横になり少し寝入ってしまった。
目覚めた後、思いつくままにジョージと話していて、そういえば、2003年にナイロビを一週間ほど再訪した時、彼の祖母に会ったことを思い出した。彼女は確か100歳かそこらの高齢の女性だった。あれから7年も経過している。他界されている可能性が高い。「ジョージ、この前ここに来た時、あなたのおばあさんに会ったこと思い出したよ」と言うと、「ああ、そうだった。今も元気だよ。行ってみるかい」と答えるではないか。驚きを隠せぬ私に「1900年生まれだから、110歳になるはず」と続けた。
ジョージの家から歩いて20分ほどのところに、そのおばあさんは住んでいる。エリザベス・コイナンゲ。コイナンゲ家はキクユ族の名家で、英国の統治下にあった植民地時代には独立闘争でコイナンゲ家の多くの若者が命を落とした。そのコイナンゲ家のチーフの5番目の妻として迎えられたのがエリザベスさん。ジョージにとっては祖父に当たるチーフはケニアが独立を果たす3年前の1960年、獄中から釈放されて2週間後に79歳でなくなっている。先週の土曜日、没後50年の記念祭を催したばかりだという。
エリザベスおばあさんは私のことを覚えていてくれた。キクユ語で語る言葉をジョージが通訳してくれた。「よく再訪してくれたね。うれしく思うよ」。「お元気そうですね。日本もお年寄りは沢山いますが、100歳を超えて、しかも110歳でおばあさんのように元気な人は珍しいかもしれない。何が健康の秘訣ですか」「そうだね。あたしは蜂蜜と豆、バナナが好物だよ。神に感謝を捧げて暮らしているし」とこんな感じでおしゃべりをした。
別れ際に私が10年後、2020年にまたアフリカ諸国を再訪することを考えていると告げると、エリザベスおばあさんは「そうするといい。私もきっとまだ生きているだろう。ケニアに来たら、またここに立ち寄るんだよ」と細い目を一層細くしながら笑った。握手を交わした彼女の手はふっくらとしていて生気にあふれていた。本当かも・・・。
(写真は上から、特に懐いてくれた子供たち3人。エリザベスおばあさん(中央)とジョージ。左上部の額に入っているのが、おばあさんが嫁いだチーフ・コイナンゲ。そのチーフ・コイナンゲのお墓。彼には6人の妻がいて、すでに5人の妻たちがそばで眠る。エリザベスおばあさんのお墓は右端に「用意」されているのが見える)