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再びヨハネス

  • 2010-12-03 (Fri) 05:55
  • 総合

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 ケープタウンから再びヨハネスブルクに戻ってきた。何と言うべきか、ある種の虚脱感に襲われている。ケープタウンは周辺のタウンシップを視野に入れなければ、南アとは別の国だ(とさえ思う)。どこかでヨーロッパの都市のようだと書いたかもしれないが、ヨーロッパなど問題ではない。
 まず、気候が素晴らしい。湿気が少ないから、ほぼ一日中爽快な気分で過ごせる。白い雲がかかっているテーブルマウンテンの眺めはいいし、目を転じれば、大西洋の海が見える。昼下がり、カフェに座って読みかけの本や新聞など読んでいれば、時間を忘れてしまう。正直に言うと、このままずっとケープタウンに居座りたいと思った。日本で仕事が待っているわけでもないし、このアフリカの旅もきちんとした旅程があるわけではない。
 ただ、南アからナイロビに一旦戻るケニア航空の便を来週初めに取ってあり、さすがにこれはお金のこともあるので、無駄にするわけにはいかない。ならば、ぎりぎりまでケープタウンにいようかと考えたほどだった。しかし、ヨハネスでインタビューを予定している人もいたし、やはり、いつまでも「極楽気分」に浸っているわけにはいかない。実際にはない「後ろ髪」を引かれる思いでヨハネスに戻ってきた。
 ヨハネスの人々でも、黒人の人々はケープタウンに行ったことのない人が多いのだろうと思う。海を見たことがないとも表現できる。ヨハネスでよく利用しているタクシー運転手のモーゼス氏はしきりにケープタウンのことを聞きたがった。「そうか。良かったか。俺の妹は結婚してケープタウンに住んでいるが、俺はまだ一度も行ったことがない。妹はヨハネスに戻りたいなどと言ったことがないから、いいところなのだろう。一度は行ってみたいと思っているんだ」と空港からホテルへの道すがら話していた。
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 南ア滞在も残り少なくなってきたので、本日夜、ソウェトに住んでいるズング夫人をホテルに近いレストランに招いて一緒に食事した。「ナス、ケープタウンはそんなに良かったか。あたしはいい思い出はないけどね」と彼女は興味なさそうに応じた。すっかり忘れていた。彼女は夫のモファットが獄中にあった1970年代末から80年代にかけ、毎月ケープタウンに行き、沖に浮かぶロベン島の刑務所に収容されていたモファットを訪ねていたのだ。
 食事の途中から、モファットの昔の同僚、ウイリー氏も加わった。ソウェタン紙のデスクをしている彼は私が同紙にモファットの消息を尋ねた時、電話口に出てくれた人だ。彼自身もかつては白人政権から反政府活動に従事しているとしてモファットとともに投獄されたことがある。私より2歳年長の彼とは初対面だったが、長年の知り合いでもあるかのように話に花が咲いた。ズング夫人はレストランの食べ物の値段が高過ぎるとぼやくことしきりだったが。
 (写真は上が、ケープタウン中心部のグリーンマーケット広場。観光客がカメラを見える形でぶら下げて歩けるのもこの都市ぐらいかもしれない。ズング夫人とウイリー氏)

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