- 2010-11-23 (Tue) 07:05
- 総合
南アフリカというかアフリカの最南端の都市ケープタウンに入った。かつてアフリカ特派員だったころ、何回か訪れた地だ。当時から南アの中でも比較的治安の良い都市として知られていた。今回の旅でもヨハネスの住民からは「そうか、ケープタウンにも行くのか。あそこはいいところだ。南アでも別格の都市だ」と言われていた。
ダーバンからは飛行機で約2時間。テーブルマウンテンのふもとに近い古い民家に手を入れたゲストハウスに投宿。フロントの女性が「ようこそ。ケープタウンは夜でも安心して歩けますよ。楽しんでください」と微笑んで迎えてくれた。
とりあえず、トランクを部屋に入れ、荷物を整理した後、夕暮れが近かったが、市の中心部を散策する。20分ぐらい歩くとシティーホール(市役所)のある広場にたどり着いた。懐かしい。ここで20年前の1990年2月11日、27年に及ぶ獄中生活から解放された直後のネルソン・マンデラ氏が広場を埋め尽くした人々に国民融和を切々と訴えたのだ。私もこの広場にたたずみ、ホールのバルコニーから語りかけるマンデラ氏の姿を見つめていた。あれから20年の月日が流れて現在に至るとは・・・。広場を通りかかった中年の男性は「そうだね。私もこの広場に立ってマンデラ氏を見ていた。みんな興奮していた。私は片方の靴がなくなっていることに後から気づいたほどだった」と語った。
さすがに20年も経過すると、街の様子は大方忘れている。すっかりお上りさんになった気分で街を歩いていると、「ちょっと、ちょっと。ズボンの後ろポケットに入れているものが見えていますよ。危ないから。完全にしまった方がいい」と若い女性が声をかけてきた。小柄な女性でケープタウンに多いカラード(混血)の人だ。「いや、これはメモ帳だから大丈夫」と答える。女性は「それでも貴重品と思って後ろからすられたり、トラブルに巻き込まれる危険性はある。この町でそういうポケットへのしまい方をして歩いていると、すぐに外国からの旅行者だと分かる」と語り、自分自身の窃盗被害話を披露しながら、町を歩く時は細心の注意をするよう色々説いてくれる。やけに親切な女性だなと思っていたら、やがて「ところで私はあの角でお別れするが、のどが渇いた。7ランド(約80円)くれない?」と言う。「なんだよ。狙いはこれかよ」と思ったものの、「前置き」の長さに感心しつつ、丁重に断ると、何事もなかったかのように立ち去って行った。
それはそれとして、ケープタウンは確かにヨハネスにもダーバンにもない「和らぎ」がある。「夜でも歩ける」という安心感と無縁ではないだろう。ホテル周辺にはしゃれたカフェやレストランが何軒もあって、白人客を中心に賑わっていた。ここだけを見れば、ロンドンで見かけるような瀟洒(しょうしゃ)な街に来た印象だ。
(写真は上から、ケープタウンを象徴するテーブルマウンテン(高さ1086メートル)。写真ほぼ中央の頂上までケーブルカーで行ける。シティーホール。マンデラ氏は時計塔の下のバルコニーから広場を埋め尽くした聴衆にスピーチした。中心部にあるカフェで夕暮れのひと時を過ごす客)