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元気一杯の男㊦

  • 2010-11-22 (Mon) 07:00
  • 総合

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 スブリーの先祖の故郷はインド南部のタミル・ナードゥ州。英国の植民地政策でサトウキビ農園で働く労働者として、インド亜大陸の人々が初めて南アに連れて来られた20年後の1880年、彼の曽祖父一家がダーバンにやってきた。英語では “indentured laborer” (年季奉公の労働者)と表現されている。年季が明けても多くは南アにとどまることを希望し、今の130万人とも言われるインド系コミュニティーの始まりとなった。ダーバンの高級ショッピングモールやカジノに行けば、インド系の人々で埋め尽くされている。
 スブリーは妻のタイナさんと一緒に1990年、インドをお互い初めて訪問、6週間ほど旅した。「最初に訪れたムンバイの空港では地元の旅行者と間違われた。だけど、南アとは全く異なる世界で、カルチャーショックに陥って、俺たちは二人とも3日で南アに戻りたくなった。旅行の最後にタミル語が通じる先祖の地の南部に足を運んだ。妻はすっかり気に入って、老後はここで暮らしてもいいわねと言ったが、俺はやはり南アがいい。俺たちは南ア人だから」とスブリーは語った。そばで聞いていたタイナさんが「私だってそうよ。やはりこの国よ」と応じた。
 二人とも母国語はタミル語だが、家庭では英語を使って生活する。子供は3人、孫は6人いるが、彼らにとってはタミル語はもはや外国語だ。とはいえ、スブリーとタイナさんは自分たちの先祖の伝統を大切に思っているから、伝統的儀式はできるだけ維持している。子供たちも同様だという。
 スブリーがこれからの仕事に情熱を燃やす一方、過去30年近く取り組んでいるのは、彼の祖母を頂点とした「一族」の親睦の灯火を維持していくことだ。祖母のマニアマさんは1977年に105歳で死去。「祖母は15人を出産、11人が成長した。もう28年ほど昔の話になるが、祖母は俺たちの家でnull暮らしていたので、俺は祖母の誕生日に祝いを催したんだ。彼女の子供たちが家族を連れて大勢集まった。その時、親睦の会をつくることを思いついたんだ。今の俺たちは先祖の苦労があってこそのものだからね。自分たちのルーツをきちんと認識することは大切なことだ。それは南ア人であることを阻害するものではない」

 スブリー・ゴベンダーは実は記者としてのペンネーム。本名はマリムス・スブラマニー。祖母の名前を取った「マニアマ・ソーシャルクラブ」は今では500人を超える集まりに育ったという。「2年に一度皆が集まる大きな会を催している。そのほかにも小規模の集まりはある。来月はゴルフコンペを開いて、学資を必要としている若い人たちの支援に活用する計画だ」とスブリーは力強く語った。
 (写真は上が、大勢の人出で賑わう週末のダーバンの浜辺。白人、黒人、インド系の人々が思い思いに楽しんでいる光景はダーバンならではか。下は、金曜日のひと時、市内の広場で催されるダンスの腕前と歌唱力を披露するイベント。この若者はユーモラスなダンスで見物客からやんやの喝采を浴びていた)

Comments:2

俺じゃが 2010-11-22 (Mon) 09:59

元気そうだね・・・
ところで何時までアフリカに居るの?
正月は何処で迎えますか?

那須 2010-11-22 (Mon) 14:02

俺じゃが(奥野)君
 何とかやっとるばい。居心地がいいからずっといたいけど、お金の問題もあるし、来年からの仕事探しもせんといかんしな。アフリカには来月の中下旬までいて、1月の初めには帰国する感じかな。ここまで来たから、久しぶりにロンドンでウエストエンドの劇場街の雰囲気も味わってみようとも思うとるとこじゃが。正月は一人寂しくロンドンの安ホテルで過ごしとるかな。ゴルフしたいな。

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