- 2010-10-25 (Mon) 02:51
- 総合
アフリカは世界の他の地域に比べ、文明が栄えなかった大陸だと言われ続けてきている。歴史や文化が書き物として残されていないことも一因しているようだ。セネガルの旅でこれに強く異を唱える人物に出会った。
文化人類学者と出会ったわけではない。ダカールの語学学校のベテラン英語教師と話していてそういう展開になったのだ。ジブリル・アンさん。来年5月には一応定年の60歳を迎える男性教師だった。私も教育学部で英語を学んだ端くれ。日本語とウォロフ語、周辺の言語との発音の差異、教え方などを話題にしていて、話が次のように広がった。
「私たちの国にはさまれる形で南にガンビアという小国がありますが、あの国の多数派のマンディンゴの人たちはKとGが区別できない。それでガラージはカラージとなる。『ルーツ』という小説読んだことがありますか。作者のアレックス・ヘイリー氏が西アフリカから奴隷となりアメリカに連れて来られた先祖の村を探し求める物語です」
「もちろん知っています。その小説は読んだことはありませんが、日本でもテレビドラマが人気になった記憶があります。ずいぶん以前ですが」
「そうです。70年代末のころでしょう。ヘイリー氏が先祖のクンタ・キンテの村を探しあてるかぎとなったのは、米国留学していたガンビアの学生を訪ね、自分の祖母たちから聞かされていた話をしたことです。ヘイリー氏は川の名前を言うのですが、正確ではありませんでした。正確にはガンビア・ボロンゴなのですが、マンディンゴの人々はカンビア・ボロンゴと発音していて、学生はすぐに自分の国だと分かったのです」
アンさんは言った。「キンテがさらわれて行方不明になった後、彼の両親たちは呪術師に所在を尋ねます。呪術師は占いで彼は再び村の土を踏むことになる、ただ、かなり時間が経過してからだと告げます。キンテが奴隷となったのは1775年。7世代後の末裔、ヘイリー氏がその村を訪れたのはちょうど二百年後の1975年のことです」
ナイロビに戻り、書店に走り、「ルーツ」を購入した。1977年にはピュリッツアー特別賞を受賞している作品だ。前半は飛ばし、末尾に至ると、作者がクンタ・キンテの村を訪れる感動の場面が記してある。村の古老が二時間にわたって、村で生まれ死んでいった幾多の人々の来歴をテープレコーダーを回すようによどみなく語っていく。やがて祖母たちから幾度となく聞かされたクンタ・キンテの名前が・・・。
ヘイリー氏は「ルーツ」の中で「西洋文明に住む我々は書物にとらわれ過ぎており、練達の記憶力の可能性を理解できないでいる」と述懐する。アン氏が言う。「アフリカでは語られた言葉は残ると考えられています。書かれなくとも残るのです。我々はこのオーラル・トラディション(oral tradition)を誇りに思っています」
(写真は上が、アフリカの伝統、語り部の力を語る英語教師のアンさん。下が、機中からゴレ島を臨む。左の半島はダカール市内)
(注:「ルーツ」はヘイリー氏のほぼ「創作」であり、彼が訪ねたのは先祖の村か疑わしいこと、呪術師の言葉も仕組まれたものという指摘があることも付記しておきたい)