- 2010-10-21 (Thu) 21:21
- 総合
ダカールでの滞在も本日で終わり。少し無理をして海岸沿いのレゾートホテルに投宿したこともあり、何回か見晴るかす大西洋で、のんびりと漂うことができた。海での平泳ぎがこんなに楽だったとは。もっと長くいたいのだが、月末に南アフリカに飛ぶ予定が控えており、この辺りが潮時かなと思う。
かつてのナイロビ支局勤務時代に西アフリカには何回か足を運んだことがある。チャド、コートジボアール、ブルキナファソという国々だ。いずれもフランス語圏の国々だ。
当時は西アフリカ訪問は楽しみだった。英語圏の国にはない良さが味わえたからだ。まず、食べ物。これは説明するまでもないことだろう。フランスの食文化が地元の料理に反映され、ケニアや南アなどでは到底味わえない風味のものが食べられたのだ。続いて、西アフリカはイスラム教徒が多数派の国々が多く、犯罪に対する厳しい戒律もあってか、旅行の安全という点では比較的安心できた。夜間も割と人々が通りに出ておしゃべりしており、日が暮れると町から人通りが絶える英語圏の国々とはだいぶ異なっているように思えた。今はどうだか分からないが、チャドの首都ヌジャメナでは東京に記事を送るため郵便局を探し、真夜中の町をさまよい歩いたが、そう不安を感じなかったことを記憶している。
さらに言えば、これもフランスの影響だろうか、フランス語圏の国々では女性のファッションが英語圏の国々と比べ格段に垢抜けていたような印象がある。頭に独特の被り物をして、色彩豊かな衣装をまとい、腰を左右に振りながら歩く女性・・・。
セネガルは今回初めて訪れたので昔との比較はできない。正直なところを書けば、もっと活気のある町を予想していたので、その点では期待外れだった。ここでも大多数の人々が厳しい暮らしを余儀なくされていることは、通りで見かける元気のない物売りの若者の数が象徴していた。ダカールの中心部に近い通りでも何度か馬車が走っている光景に出くわしたのにはいささか驚いた。「法律的には禁止されているんだが、仕事を求めて、田舎から出てくる人たちが絶えないから」と地元の人は語っていた。
セネガルは1960年の独立以来、クーデターも民族(部族)や宗教間の政権を揺るがすような衝突もなく、アフリカでは政治的に安定した国の代表格のような存在である。にもかかわらず、国連の規定ではいわゆる「世界最貧国」の一つとして数えられる。基本的には漁業、農業国であり資源に乏しいことも一因しているが、それでも過去半世紀が国民の暮らしを納得のいくほど豊かにしたとは誰が見ても言えないだろう。
国民の暮らしを無視した政治の責任なのか。「我々はもっと一生懸命に働くという心構えを持つ必要がある」(会社経営者)と指摘される国民気質の故なのか。少し物悲しい気持ちで空港に向かった。
(写真は上から、道路のわきでこの国の特産品、ピーナッツを炒る女性。高校生の少女。4人で立ち話をしていたのだが、カメラを向けると、2人は逃げてしまった。金曜日午後のイスラム教の祈り。モスクに入りきれず、あふれた人々は通りに敷物をして祈っていた。写真撮影は禁じられており、背後から撮影。通りを走る馬車)