- 2010-10-12 (Tue) 16:11
- 総合
アフリカを旅していて、いや、アフリカに限らない、海外を旅していて、多くの日本人が時に困るのは「あなたの宗教は何ですか」という質問ではなかろうか。今回の旅でももう何回この問いかけを受けたことだろうか。
正直に答えるしかない。「いや、毎週教会とか寺院に行くとかいう宗教は持ち合わせていません。あえて言えば、神道というものがあり、年の暮れや何か祈りたいことがあれば神社というところに足を運びます」と。彼らから見れば、クリスチャンでもイスラム教徒でもなく、まして仏教徒でもない日本人は奇異な存在と映っているかもしれない。そういう印象を持たれそうだったら、次のように付け加える。「我々は子供の時から、悪いことをしてはいけない。人のものを盗んではいけないなどと育てられてきました。誰も見ていなくとも、神様は見ていると諭されてきました」と。ここまで説明すると、こちらが「神をも恐れぬ人非人」でないことを分かっていただけるようだ。
ラゴスでは二度ほど教会を訪れた。先の日曜日にはホテルから少し離れたところにある ”Mountain of Fire and Miracles Ministries” という名のプロテスタントの教会をのぞかせてもらった。多くのエスニックグループが集う教会と聞いていたが、牧師の説教に必ずヨルバ語の通訳が続いていたから、ヨルバの人々が多数派の教会なのだろう。
二階建ての教会だったが、午前9時過ぎに到着した時、すでに満席だった。男性は普通の軽装だったが、女性は「アンカラ」と呼ばれる正装の人が圧倒的に多かった。そう蒸し暑くはなかったが、頭上の天井で回る大きな扇風機の風がありがたかった。
7月末に訪れたイボの人々が多数派の教会では祈りの最中に恍惚とした表情で踊り出す信者も少なくなかった。牧師は「失ったものは必ず戻ってくる」と説き、信者は熱狂的にその説教に応えていた。1960年代末のビアフラ内戦で最も辛酸をなめたイボの人々の悲痛な祈りにも聞こえた。
今回の教会では、踊り出す信者は見かけなかったが、それでも祈りは強烈だった。私がいた2時間近く、牧師は絶叫に近い説教を繰り返し、信者もそれに負けない熱気で応じる。教会の名前が示す通り、火のような信仰だ。牧師が「あなた方の心にある負け犬根性をたたき出せ」とか「身に染み付いた貧困をたたき出せ」などと「喝」を入れると、信者はその都度、大きな声で”Die”(消えてしまえ)と叫ぶ。私には娯楽番組でおなじみのあの「ダー」としか聞こえなかったが。
彼らの信心深さには敬意を表するしかない。ただ、それにしてもと思う。彼らは独立のはるか前、ヨーロッパの宣教師によりキリスト教に改宗して以来、独立してからだけでも50年の長きにわたり、神に自分と家族の幸福を祈り続けてきた。実際の政治が自分たちに何をもたらそうとも、ずっとこうやって祈り続けてきたのだ。
(写真は上から、一心に祈る信者の人々。教会の外で親子連れを撮影。7月末に訪れた教会では祈りの最後はその月の誕生日の人々を祝い、パーティーのような盛り上がりに)